国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
甲賀郡中惣遺跡群
ふりがな
:
こうが(か)ぐんちゅうそういせきぐん
村雨城跡の虎口
写真一覧▶
地図表示▶
詳細解説表示▶
種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
中世
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
122
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2008.07.28(平成20.07.28)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2009.07.23(平成21.07.23)
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡,三.社寺の跡又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡
所在都道府県
:
滋賀県
所在地(市区町村)
:
甲賀市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
村雨城跡の虎口
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
写真一覧
村雨城跡の虎口
油日神社
写真一覧
村雨城跡の虎口
写真一覧
油日神社
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
詳細解説
甲賀郡中惣遺跡群は、戦国時代に甲賀の土豪・地侍という小領主による水平的連合によって甲賀郡一帯に形成された自治組織に関する遺跡群であり、滋賀県湖南地域の旧甲賀郡域に属する甲賀市から湖南市にかけての丘陵部に所在する。甲賀郡一帯に郡中惣が形成されたのは、織田信長の近江侵攻という軍事的緊張を背景に、概ね永禄年間頃と考えられている。甲賀武士は近江守護六角氏の軍事的主力として活躍したが、元亀元年(1570)野洲川の戦いで敗北、信長の配下に入った。その後、羽柴秀吉の兵農分離により改易され、郡中惣は終焉を迎えた。甲賀では、郡中惣を構成した土豪・地侍によって、一辺50m四方の粘土層を利用した高く厚い土塁で囲んだ単郭方形型を基本とする城館が狭隘な谷々に数多く築かれ、さらに典型的な単郭方形型を進歩させた形態の城館も築かれた。今回、甲賀市甲南町域の新治地区に所在する寺前城跡・村雨城跡・新宮城跡・新宮支城跡・竹中城跡を指定して保護を図る。
関連情報
指定等後に行った措置
2009.07.23(平成21.07.23)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2009.07.23(平成21.07.23)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
:
異動種別3
:
異動内容
: