国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
赤坂遺跡
ふりがな
:
あかさかいせき
現地の状況
写真一覧▶
地図表示▶
詳細解説表示▶
種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
弥生中期~後期
年代
:
西暦
:
面積
:
4708.86 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
30
特別区分
:
指定年月日
:
2011.03.08(平成23.03.08)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
神奈川県
所在地(市区町村)
:
神奈川県三浦市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
現地の状況
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
現地の状況
写真一覧
現地の状況
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
詳細解説
赤坂遺跡は、神奈川県の三浦半島南部の海蝕台地上に所在する、弥生時代中期から後期にかけて営まれた大規模な集落遺跡である。 遺跡の発見は古く、すでに明治時代には存在が知られ、昭和四一年には立教大学による発掘調査が行われ、多数の竪穴建物の存在が確認された。その後、昭和五〇年に入ると、当該地域において農業振興のための深耕事業、いわゆる天地返しが広く行われることになり、三浦市教育委員会などによる発掘調査が実施された。 その結果、弥生時代中期中葉から後期後半までという長期間存続し、遺構としては長軸一五メートル、短軸一二.二メートルという床面積一〇〇平方メートル以上の巨大竪穴建物をはじめとする多くの竪穴建物の存在が確認された。出土遺物には壺・甕・鉢などの土器、打製石鏃・磨製石斧・叩石・磨石などの石器が多数出土し、弥生時代には貴重な板状鉄斧の存在も確認された。そのうち、磨製石斧は北信産の石材が使用され、当該地域との交流があったことが明らかとなった。また、弥生時代後期においては、竪穴建物が集中する地域から、銅釧・銅環・ガラス玉といった装身具も検出された。このように、本遺跡は長期間にわたる、三浦半島における拠点的集落と考えられることから、昭和五二年、文化財保護審議会は史跡としての価値があるという答申を行った。