国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
飯盛城跡
ふりがな
:
いいもりじょうあと
飯盛城跡遠景
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
戦国時代
年代
:
西暦
:
面積
:
633394.2 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
164
特別区分
:
指定年月日
:
2021.10.11(令和3.10.11)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
所在都道府県
:
大阪府
所在地(市区町村)
:
大阪府大東市・四條畷市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
飯盛城跡遠景
解説文:
詳細解説
戦国時代、畿内(きない)一円を支配した三好(みよし)長慶(ながよし)が拠点とした山城跡。標高314mの飯盛山(いいもりやま)に築かれ、東西約400m、南北約700mで西日本有数の規模を誇る。北エリアの防御空間の曲輪群(くるわぐん)と南エリアの居住空間の曲輪群からなり、城の全域に石垣が多用されていた。戦国時代の政治・軍事を知るうえで貴重。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
飯盛城跡遠景
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飯盛城跡遠景
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解説文
戦国時代、畿内(きない)一円を支配した三好(みよし)長慶(ながよし)が拠点とした山城跡。標高314mの飯盛山(いいもりやま)に築かれ、東西約400m、南北約700mで西日本有数の規模を誇る。北エリアの防御空間の曲輪群(くるわぐん)と南エリアの居住空間の曲輪群からなり、城の全域に石垣が多用されていた。戦国時代の政治・軍事を知るうえで貴重。
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詳細解説
飯盛城跡は、戦国時代、畿内(きない)一円を支配した三好(みよし)長慶(ながよし)が拠点とした山城跡。標高314mの飯盛山(いいもりやま)に築かれ、東西約400m、南北約700mで西日本有数の規模を誇る。飯盛城が記録に初めて現れるのは、享禄3年(1530)、木沢(きざわ)長政(ながまさ)の居城としてである。その後、安見宗房(やすみむねふさ)の時代を経て、永禄3年(1560)、三好長慶が入城した後は、京と畿内を支配した三好政権の拠点として機能し、連歌(れんが)や茶の湯等の当時最先端の文化交流の場ともなった。飯盛城に関する寺社文書や公家の日記、軍記物等、豊富な史料が残されており、また、城を訪問したイエズス会宣教師を通じて、ヨーロッパで刊行された文献や地図でも紹介されている。長慶の死後、養子の義継(よしつぐ)が若江城に居城を移した永禄12年(1569)頃に城郭の機能を失ったものと考えられる。 大東市及び四條畷市教育委員会による発掘調査等により、戦国時代末期の城郭(じょうかく)遺構(いこう)が良好に遺存し、北エリアの防御空間の曲輪群(くるわぐん)と南エリアの居住空間の曲輪群からなることや、城の全域に石垣が多用されていたことが確認された。我が国戦国時代末期の畿内を中心とする政治・軍事の様相や、織(しょく)豊(ほう)系(けい)城郭(じょうかく)の形成過程を知る上で貴重である。