国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
西方城跡
ふりがな
:
にしかたじょうあと
西方城跡
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
戦国時代~江戸時代
年代
:
西暦
:
面積
:
176619.59 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
12
特別区分
:
指定年月日
:
2024.10.11(令和6.10.11)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
栃木県
所在地(市区町村)
:
栃木県栃木市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
西方城跡
解説文:
詳細解説
国人領主西方(にしかた)氏の城館跡。中世から近世の城館の形態と変遷や築城技術を知る上で重要
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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西方城跡
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西方城跡
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解説文
国人領主西方(にしかた)氏の城館跡。中世から近世の城館の形態と変遷や築城技術を知る上で重要
詳細解説▶
詳細解説
西方城跡は、宇都宮氏家中国人層領主である西方氏による築城と考えられ、宇都宮氏の廃絶後は結城秀康領、関ケ原戦いの後は、西方藩万5千石の本城として藤田信吉領有するが、元和初(1615)年に西方藩が廃されると同時に廃城となった。山頂部には南北の丘陵尾根上に主要な曲輪が連なり、山麓部に曲輪群が広がる。山麓部は方形の曲輪を中心とする曲輪群で構成される。西方氏段階では山頂部、結城氏段階では山頂、山麓双方、藤田氏段階では山麓部東側という城館自体の変遷が推定できる。城の役割も時代により大きく異なり、西方氏の段階では宇都宮領の飛地で、小田原北条氏対する境界の城館であったこと、結城氏段階では徳川領国の北限で上杉氏に対する境界の意味合いが強くなるなど、規模と構造の変遷が、地政的な北関東の政治的緊張と連動しており、戦国期から近世の政治状況、社会構造の変化を示していると考えられる。また、遺構の遺存状況も良好であり、我が国における中世後半から近世初頭にかけての城館の形態と変遷や築城技術を知る上で重要である