国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
大隈重信旧宅
ふりがな
:
おおくましげのぶきゅうたく
大隈重信旧宅
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
1965.06.04(昭和40.06.04)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
八.旧宅、園池その他特に由緒のある地域の類
所在都道府県
:
佐賀県
所在地(市区町村)
:
佐賀市水ケ江
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
大隈重信旧宅
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
大隈重信旧宅
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大隈重信旧宅
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詳細解説
天保九年二月十六日佐賀会所小路に、佐賀藩士の子として生まれ、大正十一年一月十日歿した。 大隈重信の主な業績は、明治維新後であって、政府の官僚として明治初期における国家の基礎確立に尽すところ多く、また国会、政党政治の実現を主張し、自ら立憲改進党を組織した。明治三十一年六月および大正三年四月の二回政党内閣を組織して総理大臣となった。また、学問の独立を求めて東京専門学校(早稲田大学)を創立し、政治と教育文化の向上とを兼ね備えた点、政治家の多い内にあって、盖し独特である。 家は、父熊之允が、天保三年買得したもので、生誕以来、重信はここを住居とし、幕末の動搖期に国事に奔走したのも実にこの家にいる頃で、明治元年ここを去って東京に出た。 佐賀地方によく見るかぎ家で、二間ばかり北方にひかれ、玄関に改造のあとあり、また台所は撤去されて管理部屋が附設される等、変改のあとはあるが、座敷、次の間、居間等主要部はよく残っている。二階の部分は、母が重信のために建て増したといわれている。 著名な人物の旧宅として重要であるばかりでなく、武家屋敷の遺例としても貴重である。