国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
日野江城跡
ふりがな
:
ひのえじょうあと
日野江城跡
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
112
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
1982.07.03(昭和57.07.03)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2014.03.18(平成26.03.18)
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
長崎県
所在地(市区町村)
:
南島原市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
日野江城跡
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
写真一覧
日野江城跡
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日野江城跡
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詳細解説
S50-12-052[[日野江]ひのえ]城跡.txt: 近世、九州の有力大名である有馬氏が、日向県に移る以前に本城としていた城である。有馬氏は、建保年間(1213〜1218)頃、肥前国有馬荘の地頭に補任され、その後戦国大名として頭角を露わし、キリシタン大名として著名な晴信の頃には肥前の大半を領有するまでに至っているが、当時の居城である日野江城がいつ頃築かれたものかは必ずしも明らかではない。 現存する城の形態は戦国時代の山城であり、標高81メートルの通称本丸を中心に、多くの[[曲輪]くるわ]が階段状に配されている。大手は東側と考えられており、この付近には石垣が良く遺存している。その他の個所では、石垣はほとんど見られないが、これは、有馬氏の後に入封した松倉重政が、のちに島原城を築く際、日野江城の石垣を搬出したためといわれている。そしてこの時に、本城は廃され、今日に至っているが、著名な有馬氏の本城としての歴史的意義は大きい。
関連情報
指定等後に行った措置
2013.10.17(平成25.10.17)
2014.03.18(平成26.03.18)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2013.10.17(平成25.10.17)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
:
異動種別3
:
異動内容
:
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2014.03.18(平成26.03.18)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
:
異動種別3
:
異動内容
: