国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
樺崎寺跡
ふりがな
:
かばさきでらあと
史跡樺崎寺跡全景
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
中世
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
2001.01.29(平成13.01.29)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
三.社寺の跡又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡
所在都道府県
:
栃木県
所在地(市区町村)
:
足利市樺崎町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
史跡樺崎寺跡全景
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
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史跡樺崎寺跡全景
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史跡樺崎寺跡全景
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詳細解説
樺崎寺跡は、国指定史跡の足利氏宅跡(鑁阿寺)の北東約4.5km、樺崎川が開析した小支谷に八幡山を背に東面して寺域が展開する、足利氏の氏寺跡、廟所跡である。永享年間(1429~41)作成と推定される「鑁阿寺樺崎縁起并仏事次第」(鑁阿寺文書)によれば、樺崎寺は、源姓足利氏2代目の義兼が文治5年(1189)の奥州合戦の戦勝祈願のために創建した。この頃に最初の堂舎、後の赤御堂が建立されたと推定され、赤御堂の南東前面には、中島と立石景石を持つ東西約70m、南北約150mの浄土式庭園が営まれた。「縁起」には「右当寺者為代々先君御菩提所、都鄙之将軍家御墓、五輪石塔並甍」と記されている。 義兼は源頼朝の義兄弟で、鎌倉幕府草創期の有力御家人として活躍した。義兼は建久6年(1196)に東大寺で出家し、樺崎寺で念仏三昧の日々を送り、正治元年(1199)に同寺で入定し、赤御堂殿と称された。鎌倉時代中頃にかけて諸堂塔が順次建立され、焼亡した堂舎も鎌倉時代後期には貞氏、尊氏の援助により復興を遂げた。樺崎寺は鎌倉公方が参詣すべき祖霊の地で、第5代の鎌倉公方持氏は応永28年(1421)に父満兼の「勝光院殿御追善十三回并御廟供養」を行っている。樺崎寺は足利氏、鎌倉公方の隆盛とともに繁栄したが、15世紀中頃以降は徐々に衰退した。 足利市教育委員会は、昭和59年度から平成11年度まで16次にわたる発掘調査を実施し、古文書や絵図史料に記載されている供養石塔跡、堂舎跡、僧坊跡、浄土式庭園跡などを検出した。確認された遺構の分布は東西約200m、南北約300mの範囲に及ぶ。八幡山の南東側山腹には南から順番に、鎌倉公方持氏が応永28年に供養を行った廟塔及び満兼供養塔の跡(足利氏御廟跡)、義兼供養塔を納めた御堂跡、縁付四面堂の多宝塔跡が並ぶ。赤御堂跡は現在の八幡宮社殿に重なっていると推定され、社殿の北脇で赤御堂跡に至る石段が検出された。東側の低地では地蔵堂跡、下御堂跡、経蔵跡が検出された。樺崎川の東側では、赤御堂跡を正面に臨む地点で東西12m、南北7.5mの範囲に石を敷き詰めた広場跡と南北方向の幅0.6mの小溝跡が検出された。平安時代末から戦国時代の豊富な遺物が出土しており、特に12世紀後半所産の白磁四耳壺は優品で、足利氏の豊かな財力と政治的地位の高さを雄弁に証言する。柿経や木製品、かわらけ、護摩壇の土製炉などは、中世寺院で繰り広げられた儀式と生活の様相を物語る。 樺崎寺跡は、中世を代表する豪族武士団足利氏の12世紀末創建の氏寺跡、廟所跡で、遺構の遺存状態も良好であり、八幡山を借景とする浄土式庭園跡としても東国を代表する遺跡である。足利氏の勢力の盛衰と遺構の変遷も良く一致し、東国の中世史と足利氏、鎌倉公方の仏教文化を代表する中世寺院跡として重要である。よって史跡に指定して保護を図ろうとするものである。 樺崎寺跡は、史跡足利氏宅跡(鑁阿寺)の北東約4.5km、樺崎川が開析した小支谷に、八幡山を背に東面して寺域が展開する、足利氏の氏寺跡、廟所跡で、浄土庭園をもつ中世寺院跡として著名で、平成13年に史跡に指定された。 樺崎寺は、足利氏2代目の義兼が文治5年(1189)に奥州合戦の戦勝祈願のために創建した。義兼は源頼朝と義兄弟の有力御家人で、晩年には樺崎寺で念仏三昧の日々を送り、正治元年(1199)に同寺で入定し、赤御堂殿と称された。鎌倉時代中期にかけて諸堂舎が順次建立され、鎌倉後期には貞氏、尊氏の援助によって焼亡した堂舎も再建された。樺崎寺は、鎌倉公方が参詣する祖霊の地で、第5代の鎌倉公方持氏は、応永28年(1421)に父満兼の追善13回忌と御廟供養を行っている。樺崎寺は足利氏、鎌倉公方の隆盛とともに繁栄を誇ったが、15世紀中頃以降は徐々に衰退し、明治の神仏分離令で廃寺になった。 昭和59年度から足利市教育委員会が継続実施している発掘調査によって、古文書や絵図史料に記載されている供養石塔類、堂舎跡、僧坊跡、浄土庭園跡等が検出されており、寺域は東西約200m、南北約300mの範囲と推定されている。 今回追加指定する地点は、樺崎川から園池への導水路の推定地と、園池跡の東側、南側の各一部である。樺崎寺跡は、足利氏、鎌倉公方の歴史と仏教文化を示す中世寺院跡であり、園池跡の周辺部を追加指定し、保護の万全を図ろうとするものである。
関連情報
指定等後に行った措置
2004.02.27(平成16.02.27)
2006.01.26(平成18.01.26)
2007.02.06(平成19.02.06)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2004.02.27(平成16.02.27)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
:
異動種別3
:
異動内容
:
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2006.01.26(平成18.01.26)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
:
異動種別3
:
異動内容
:
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2007.02.06(平成19.02.06)
異動種別1
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追加指定
異動種別2
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異動種別3
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異動内容
:
樺崎川から園池への導水路の推定地と、園池跡の東側、南側の各一部を追加指定する。