国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
飛山城跡
ふりがな
:
とびやまじょうあと
飛山城跡
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
1977.03.08(昭和52.03.08)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
1990.04.03(平成2.04.03)
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
栃木県
所在地(市区町村)
:
宇都宮市竹下町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
飛山城跡
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
写真一覧
飛山城跡
飛山城跡
飛山城跡
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飛山城跡
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飛山城跡
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飛山城跡
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詳細解説
飛山城は宇都宮市の東郊、鬼怒川左岸の台地に築かれた城で、中世に下野国中央部を勢力範囲とした宇都宮氏の家臣、芳賀(清原)氏の居城であった。芳賀氏は高親の時、宇都宮氏2代宗綱に仕え、以後その家臣団にあって、益子(紀)氏とともに紀清両党と並び称され、主家の所領支配及び合戦において重要な役割を果たした。 芳賀氏は、初め大内庄の「京泉屋敷」に居たが、平安時代中ごろに御前城に移り、永仁年間(1293〜98)に高俊が主家の宇都宮城に近い清原村飛山に本城を築城した。以後、天正5年(1577)に舞丘(真岡)城をも築いたが、慶長2年(1597)に宇都宮国綱が豊臣秀吉の怒りに触れて領地没収の処分を受け、芳賀氏の飛山城及び舞丘城もともに廃城となった。 城地は、南北420メートル、東西240メートルを測り、北側と西側は、鬼怒川とその支流が作る急な断崖があって、自然の防備を成し、東側及び南側は、土塁と空堀を二重に築いている。内側空堀は、東南隅で幅約15メートル、深さ約4メートルの規模を持つ傑出した遺構である。北西側を主郭とし、以下第2郭、第3郭が南北に連なり、各郭は、土塁と空堀で区画される。東側の第2郭と第3郭の連接部に虎口を開いていて、ここが大手であり、第3郭の南西隅が搦手であったと考えられる。 芳賀氏は、宇都宮氏の有力家臣として著名であり、宇都宮城や舞丘城がほぼ全面的に市街地化してしまった現在、宇都宮氏を中心とする中世下野国の歴史を理解する上で、飛山城跡の存在は貴重なものといえる。
関連情報
指定等後に行った措置
1990.04.03(平成2.04.03)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
1990.04.03(平成2.04.03)
異動種別1
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追加指定
異動種別2
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異動種別3
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異動内容
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