国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
大館跡
ふりがな
:
おおだてあと
大館跡
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
1977.04.05(昭和52.04.05)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
北海道
所在地(市区町村)
:
松前郡松前町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
大館跡
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
大館跡
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大館跡
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詳細解説
蝦夷地への和人の進出過程を知る上での主要な史跡として、いわゆる道南12館の存在は、夙に注目されているが、大館はその一つであり、福山城築城までの蠣崎(松前)氏の本拠として特に重要なものといえる。 大館の起源は室町時代に遡り、嘉吉年間に南部氏との戦いに破れて蝦夷地に敗走した安東氏が居館としたのに始まると伝えられる。 永正10年(1513)に、原住民の蜂起により大館も陥ちたが、翌年、蠣崎光広が大館に入り、徳山館と名を改めた。その後、蝦夷地全域を支配するようになった蠣崎氏は、慶長11年(1606)に徳山館の南に新城を築いて移転したため、徳山館は廃絶された。 台地上に占拠する大館は、尖端部の「小館」と堀割を挾んで北に続く「大館」に区画されている。南側の小館沢口に架橋して入口とし、「大館」の後背部に柵を配して防備を固め、さらにその後方は堀割をつくっている。居館は「大館」に建てられたものと思われ、その北東部に、焼材等を検出する地点がある。