国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
河越館跡
ふりがな
:
かわごえやかたあと
河越館跡
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
1984.12.06(昭和59.12.06)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
埼玉県
所在地(市区町村)
:
川越市上戸
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
河越館跡
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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河越館跡
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河越館跡
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河越館跡
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詳細解説
鎌倉時代の関東武士のなかで、とりわけて重鎮の位置を占めた河越氏の館跡である。遺跡は、現在の川越市の北西、入間川西岸に接する平坦地にあり、その東南部を占める常楽寺境内をはさんで、東西約150メートル、南北約200メートルの方形の区画を思わせる高さ1~3メートルの土塁及びその外側の堀が一部遺存している。 川越市教育委員会が、昭和46年~50年に実施した発掘調査により、平安時代末期から戦国時代にかけての堀や井戸、住居などの遺構が検出され、『新編武蔵風土記稿』が上戸村常楽寺の挿絵として描く河越館跡の姿が、現地においてほぼ確認されるに至った。 河越氏は、秩父氏の一族で、平安時代に河越荘の開発領主として勢力があり、その私領を後白河院に寄進している。重頼のとき源頼朝に重用され、その娘が義経の妻となったが、義経没落の際、縁坐して重頼は誅された。しかしその後も河越氏は依然として御家人の上位に位置し、室町時代に至るまで、有力武将として活躍した。この間、河越館が河越氏の居館として継続したものと思われ、本史跡は、鎌倉時代から室町時代にかけての関東武士の館跡を考察しうる遺跡として重要なものである。