構成資産
 構成資産
件名名称 大森・銀山
件名ふりがな おおもり・ぎんざん
大森の町並み
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所在都道府県 島根県
所在地 大田市大森町
大森の町並み
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解説文:
 大森・銀山は、鉱山に隣接して銀山川沿いの谷間に発展した鉱山町であり、南北約2.8㎞にわたって伝統的な木造建築から成る集落が展開している。大森・銀山は、南側の要害山に近い「銀山地区」と北側の代官所跡に近い「大森地区」の2地区に分かれる。両者は江戸時代の行政区分であった「大森町」と「銀山町」を踏襲したものであり、「銀山町」の範囲は銀山柵内と重なっている。  1526年に本格的に開発が開始された石見銀山は、当初仙ノ山を中心に居住地が形成された。その後、開発の進行とともに、休役所のある銀山川沿いが町の中心となった。17世紀に入ると、新たに「大森町」の建設が開始され、支配の中枢も現在の代官所跡付近に移ったことから、次第に大森地区の比重が大きくなった。  大森地区は、17世紀から19世紀半ばにかけて、石見銀山とその周辺諸村150余ヶ村の支配の中心となるとともに、武家・商家・寺院など様々な身分・職業の人々が混在して居住する集落が形成された。地区の北端には、代官所跡を中心として代官墓所・地役人旧宅・武士の使用人の長屋など、銀山の支配・運営に関わる建物などが比較的集中して残っている。この周囲には街路に面して武家屋敷と町家が混在する。武家屋敷では道に面して塀が立ち、庭を隔てて奥に主屋が設けられているのに対し、町家は道に面して土蔵・塀・主屋が設けられており、両者の違いは明確である。また、地区住民らが信仰する神社は代官所跡の北東側に、寺院は武家屋敷や町家に背後の山側に立地している。  17世紀初頭の地図によれば、銀山地区は谷筋の街路に沿って木造の町家が立ち並ぶ繁華な町であった。今日では、宅地の地割が随所に残っているほか、既に水田や畑地へと変化した土地にも旧町家の地割の痕跡が見られる。近年の発掘調査によって、同地区の一部に精錬所跡が存在したことや、集落の土地が製錬及び精錬によって生じた鉱滓を埋め立てて表土で覆って造成していることが判明した。  銀山地区のうち、要害山南麓の休役所の近辺にはかつて多くの店舗が存在したことを示す地名が残されており、16世紀にはこの付近が支配の中心地であり、経済的に最も栄えた場所であったことを示している。また、大森地区と同様に、集落の背後に当たる山裾部には多くの石造物を含む寺院跡が遺存しており、銀山地区における人びとの集住と信仰の跡を伝えている。  銀山地区は、仙ノ山から石見銀山街道鞆ヶ浦道、石見銀山街道温泉津、沖泊道へと連続する通過点に当たり、周囲に隣接して点在した坑道とともに、鉱山と密着して栄えた集落の地域であった。  大森・銀山を構成する木造建築の多くは1800年の大火後に再建されたものであるが、武家や商家などの旧宅が近世初期の土地利用の形態を継承しつつ旧観をよく保ち、土壁やこの地方に特徴的な赤い釉薬のかかった石州瓦の屋根などが、周囲の山々の緑とも調和して特色のある美しい町並みを形成している。
関連情報
    (情報の有無)
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