国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
羽黒山五重塔
ふりがな
:
はぐろさんごじゅうのとう
棟名
:
棟名ふりがな
:
羽黒山五重塔
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員数
:
1基
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
室町前期
年代
:
応安5
西暦
:
1372
構造及び形式等
:
三間五重塔婆、こけら葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00217
国宝・重文区分
:
国宝
重文指定年月日
:
1908.04.23(明治41.04.23)
国宝指定年月日
:
1966.06.11(昭和41.06.11)
追加年月日
:
重文指定基準1
:
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
山形県
所在地
:
山形県鶴岡市羽黒町大字手向
保管施設の名称
:
所有者名
:
月山神社
出羽神社
湯殿山神社
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
羽黒山五重塔
解説文:
詳細解説
出羽三山神社の参道の傍にたっている。 室町時代初期の応安五年(一三七二)ごろに建てられたものである。
髙さ二九メートル余、周囲には緑をめぐらす。塔として正規の手法をとっており、細部手法には室町初期の特徴がよくみえる。当時の五重塔としては、貞和四年(一四四九)建築の明王院五重塔(広島県福山市)があるが、羽黒山五重塔はこれとならんで室町時代の五重塔を代表するものである。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
羽黒山五重塔
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羽黒山五重塔
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解説文
出羽三山神社の参道の傍にたっている。 室町時代初期の応安五年(一三七二)ごろに建てられたものである。 髙さ二九メートル余、周囲には緑をめぐらす。塔として正規の手法をとっており、細部手法には室町初期の特徴がよくみえる。当時の五重塔としては、貞和四年(一四四九)建築の明王院五重塔(広島県福山市)があるが、羽黒山五重塔はこれとならんで室町時代の五重塔を代表するものである。
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詳細解説
羽黒山五重塔 一基 この塔は修験道で名高い出羽三山の一、羽黒山中にあって、山上の合祭殿へ至る参道脇の杉木立のなかにひっそりと建っている。現在は出羽三山神社の所有であるが、明治の神仏分離以前は数多い寺院の一つ、滝水寺に属していたもので、周辺には多くの堂舎が建っていたという。慶長十三年(一六〇八)山形藩主最上義光が修理した時の棟札に、応安二年(一三六九)柱立、永和三年(一三七七)九厘上とあり、建立年代が知られる。 伝統的な純和様の手法をもち、装飾は一切つけず、総体に古式である。ただし、組物のうち、軒支輪が上部の反転したS字形となるのは新しい手法で、この種のものとしては明王院五重塔とともに最も古い。柱間寸法は初重の各間を尺寸の完数値とし、その総間の七割を五重にとり、二重から四重はその間を均等に逓減させたものらしく、枝割によらない古式な決め方がされている。そのため一枝寸法は各重各間で異なり、初重中央間の枝割に合わせて割りつけられた組物は、他の間では六枝掛にならない。一方、全体の格好をみると相輪長が総高の二割五分しかなくてかなり短く、近世の塔の比例に似ている。しかし、相輪は全体が慶長修理で改鋳されており、当初の高さを伝えているのかどうか明らかではない。 都から遠く離れた奥羽の地にありながら、様式手法は洗練されていて地方作の色合いはうすい。中世の羽黒修験道が中央とつながりをもっていたことを示す遺構といえよう。 『国宝大辞典(五)建造物』(講談社 一九八五年)