国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
法隆寺大講堂
ふりがな
:
ほうりゅうじだいこうどう
棟名
:
棟名ふりがな
:
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
平安中期
年代
:
正暦元
西暦
:
990
構造及び形式等
:
桁行九間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00027
国宝・重文区分
:
国宝
重文指定年月日
:
1899.04.05(明治32.04.05)
国宝指定年月日
:
1951.06.09(昭和26.06.09)
追加年月日
:
重文指定基準1
:
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
奈良県
所在地
:
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内
保管施設の名称
:
所有者名
:
法隆寺
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
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詳細解説
法隆寺大講堂 金堂、塔の中央後方に離れて建つ大建築で、金堂よりもはるかに大きい。現在両脇に回廊が取りついているが、もとは北回廊は金堂・塔を囲んで南方で閉じられ、創建堂の両脇には東西棟の北僧房が建てられていた。 旧堂が延長三年(九二五)に焼失、現在の建物は正暦元年(九九〇)に再建された(『別当記』)。再建後たびたびの修理改造をうけていて、中世に西側に庇が設けられ、元禄の修理にこの部分を取りこみ、西側柱を移動させてそのあとを補い、九間堂に改めた。したがって創建堂も現堂の再建時も、桁行は八間であった。昭和の大修理で軒・小屋組・造作などは再建当時の形式に復原されたが、桁行は九間のままになっており、本来は柱列が重複する西方一間分だけ短い。 壇上積基壇上に立ち、組物は側・入側とも平三斗、中備間斗束、繋虹梁を入れ、母屋は断面馬蹄形の桁の上に大虹梁を架け、周囲は化粧屋根裏、母屋は大虹梁の下に組入天井を張り、三間の来迎壁と仏壇を設ける。軒は二軒で、垂木上に木舞をあみ、垂木の間は土壁で仕上げ、化粧垂木の上に別に野小屋を設けて、奈良時代の技法より国風化している。 創建堂は全体の規模位置は同じであるが、庇の柱間は現堂のほうが大きい。『資材帳』には大講堂はみられず、かえって食堂の規模がこれと一致し、創建堂の礎石が古材転用であることなどとともに、創立沿革に複雑な事情があったことを思わせる。 【引用文献】 『国宝大辞典(五)建造物』(講談社 一九八五)