国宝・重要文化財(美術工芸品)
 主情報
名称 : 湯浅景基寄進状〈寛喜三年四月日/〉
ふりがな : ゆあさかげもときしんじょうかんぎさんねんしがつじつ
地図表示▶ 解説表示▶
員数 : 1巻
種別 : 古文書
国 : 日本
時代 : 鎌倉
年代 :
西暦 :
作者 :
寸法・重量 :
品質・形状 :
ト書 : 寛喜三年四月十七日沙門高弁外題証判
画賛・奥書・銘文等 :
伝来・その他参考となるべき事項 :
指定番号(登録番号) : 00191
枝番 : 00
国宝・重文区分 : 重要文化財
重文指定年月日 : 2004.06.08(平成16.06.08)
国宝指定年月日 :
追加年月日 :
所在都道府県 : 京都府
所在地 : 京都府京都市下京区烏丸通七条上る常葉町754
保管施設の名称 : 学校法人真宗大谷学園
所有者名 : 学校法人真宗大谷学園
管理団体・管理責任者名 :

地図表示
解説文:
 本文書は、湯浅景基が所領である紀州湯浅庄内の「巣原村白上峯」に施無畏寺【せむいじ】を建て、同族の明恵【みょうえ】房高弁【こうべん】(一一七三~一二三二)に寛喜三年(一二三一)四月に寄進したときの文書である。明恵の母は湯浅宗重の女であることから、景基とは従兄弟になる。景基は湯浅氏嫡流宗景の子息で、庄内の多村、須原村を分割譲渡されて須原氏を称した。嘉禎四年(一二三八)京都八条辻固湯浅御家人結番定文には、嫡流の宗弘と並んで二番に「九郎景基」とみえ、湯浅党の中で独立の家として認められていたことが知られる。
 この大谷大学本は檀紙四枚を逆継した料紙に、寛喜三年四月日湯浅景基寄進状に続けて「件寺敷地」以下、敷地内での殺生禁断を望む景基の意向に賛同した湯浅一族が署判を加えたもので、袖に「沙門高弁」の外題証判がある。
 湯浅景基寄進状は大谷大学本のほかに重文「紙本墨書置文」(明治三十二年指定)一巻が施無畏寺に伝存している。この施無畏寺本は五紙からなり、「沙門高弁」の外題証判も袖に据えられ、寄進状などの本文もほぼ同文であるが、継目裏ごとに高弁の花押が捺されている点が大谷大学本と異なる。この高弁の継目裏花押の有無は、文書の所持者の違いに起因するものとみられる。なお、裏花押のない大谷大学本には「高山寺」印が巻頭にあることから、中世以降高山寺に伝来したことが知られる。
 両本の本文に注目すると、山の四至のうち南の記載が異なっている。大谷大学本では「大門」、施無畏寺本では「大道」とあり、「道」の文字には摺り消した痕跡がみえる。次に、連署した人数は両本ともに四九名で、その多くは共通しているが、一致しない人物で大谷大学本にみえるのは「藤原高家」「源冷」「沙弥願西」の三名で、施無畏寺本にみえるのは「藤原光業」「藤原朝弘」「藤原(名ナシ)」の三名である。「高家」「源冷」「沙弥願西」の部分は他の連署とは異筆で、しかもその記載位置が末尾であることから、この三名については追記の可能性が高い。同様に、施無畏寺本にみえる「光業」「藤原朝弘」も追記とみられ、四九名の加判者のうち、大谷大学本で重出する「藤原信光」、施無畏寺本で花押の一致する「左衛門尉宗元」と「右衛門尉藤原宗基」を各一名とすると、残り四五名の人物が両本に共通する。花押を据えている人数は大谷大学本四一名、施無畏寺本三二名、両方にあるのは二七名であり、後日に花押を据えた人びともいたことになる。
 筆頭の「沙弥浄心」は湯浅氏の惣領として活動していた保田氏で、次の「藤原宗弘」は湯浅氏の嫡流である。宗弘に次いで庶子の「光重」「貞重」「盛平」ら各家の家長が先に記されていることが確認できる。これらの中には湯浅氏と姻戚関係をもち、その族的結合に組み込まれた藤並氏や木本氏などの他門の人びとも多くみえ、湯浅一族内の家の連合が広範囲にわたる武士団の結合であったことを示して注目される。
 本文書は、施無畏寺の創建由緒と湯浅一族との関係を物語る根本史料であり、併せて武士団の結合と信仰を示すものとして貴重である。
関連情報
    (情報の有無)
  附指定 なし
  一つ書 なし
  添付ファイル なし