国宝・重要文化財(美術工芸品)
 主情報
名称 : 木造泰澄及二行者坐像
ふりがな :
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員数 : 3躯
種別 : 彫刻
国 : 日本
時代 : 室町
年代 : 明応2年
西暦 : 1493年
作者 :
寸法・重量 :
品質・形状 :
ト書 : 泰澄像内に明応二年五月の銘がある
画賛・奥書・銘文等 :
伝来・その他参考となるべき事項 :
指定番号(登録番号) : 03507
枝番 : 0
国宝・重文区分 : 重要文化財
重文指定年月日 : 2003.05.29(平成15.05.29)
国宝指定年月日 :
追加年月日 :
所在都道府県 : 京都府
所在地 : 京都府京都市上京区下長者町通新町西入藪之内町85番4
保管施設の名称 : 国(文化庁)
所有者名 : 国(文化庁)
管理団体・管理責任者名 :

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解説文:
 泰澄は白山の開基者と伝えられる奈良時代の僧侶で、本三像は大谷寺開山堂に伝えられた。大谷寺は泰澄が一四歳で登拝、修行したとされる越知山【おちさん】の越知神社別当寺。『泰澄和尚伝』(金沢文庫本)によれば、白鳳十一年(異説あり)越前国に生まれ、一四歳で越知山に登り修行を積み、浄定【きよさだ】行者と臥【ふせ】行者を弟子とした。三六歳で白山を開く。のちさまざまな効験があり、晩年は越知山に帰り、神護景雲元年(七六七)八七歳で入寂した。
 泰澄の作例としては岐阜・大師講の建長八年(一二五六)銘の像が古いが、作行は上手ではない。他に、江戸時代のもので、大谷寺所蔵の別の彫像一具や白山美濃馬場の諸寺に数点の彫像、画像がある。像容は手の構えや持物に異同のあるものがあるが、岐阜・阿名院の画像(室町時代)が、泰澄像の左手持物の違いを除いて概ね本像と一致する。
 木造(ヒノキか)、割矧造、彩色、玉眼嵌入。三体とも頭体を一材から彫出し前後に割矧ぎ、頭体各部に内刳を入れるが、泰澄像は頸部を刳り残し、二行者像は底を刳り残す。頭部、体部を着衣の襟際で割矧ぐ。さらに泰澄像は右肩から下がって地付に至る位置で右体側部を矧ぎ、浄定行者は両肩から腋下、袖内側を通って地付に至る位置で各割矧ぎ、臥行者は左肩から左腋下を通り地付に至る位置で左体側に別材を矧ぎ、右肩から前膊内側、袖内側を通って地付右方に至る位置で割矧ぐ。いずれも体部背面に別材を矧ぐ。
 各像とも体部に比べて頭部を大きめにつくり、面貌は各像主の年齢差に従って丁寧に表現し分ける。しかしその面貌は、像主の真に迫るというよりも概念的な写実にとどまっているのは、頂相を除いて、南北朝から室町時代の肖像彫刻に見られる一般的な特徴である。泰澄像内に明応二年(一四九三)の墨書があり、それに続く面が削り均されそこに大永八年(一五二八)の修理銘が記される。削られた部分に明応銘の続きがあったかどうかはわからないが、明応二年は造像の時期を示すものと考えられる。
 臥行者の像底にある銘も大永八年の修理に際して記されたものである。修理大仏師叶円は中納言とも称され、当時、京都貴顕と交わりのあった仏師である。造立後わずか三五年にして修理された背景に、当時越前を支配していた千秋氏の外護を推測する見方がある。
 数点確認される泰澄及二行者像のなかで本像は最も優秀で、室町時代肖像彫刻として一定の評価がなされる。泰澄の入寂地に伝来した根本像としても貴重な作例である。
関連情報
    (情報の有無)
  附指定 なし
  一つ書 なし
  添付ファイル なし