国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
舎利奉請文(三通)
ふりがな
:
しゃりぶじょうもん(さんつう)
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員数
:
2巻、1幅
種別
:
古文書
国
:
日本
時代
:
鎌倉ー南北朝
年代
:
文保3年、正中元年、貞治2年
西暦
:
1319、1324、1363
作者
:
後宇多法皇、後醍醐天皇、後光厳天皇
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
00728
枝番
:
00
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1902.04.17(明治35.04.17)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
2019.07.23(令和1.07.23)
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
京都府京都市南区九条町1
保管施設の名称
:
宗教法人教王護国寺
所有者名
:
宗教法人教王護国寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
鎌倉~南北朝時代の作品。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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解説文
鎌倉~南北朝時代の作品。
詳細解説▶
詳細解説
①後宇多法皇奉請文(置文)は、文保3年(1319)4月5日、後宇多法皇が奉請した時のものである。この日、法皇は東寺に参詣し、西院御影堂の空海像の前で東寺長者公紹が勘計したついでに5粒(甲1粒・乙4粒)を奉請した。それとは別に一千日別行を始めんがため、乙壺から31粒を奉請、もしその所願を果たすことができなければ、大覚寺法親王に伝えて、乙壺に返納することを申し置いたものである。大覚寺法親王は後宇多の異母弟寛尊(寛融)である。公紹はこの日仏舎利の勘計を行って、あわせて後宇多法皇5粒をはじめ、公紹・道我等に計10粒の仏舎利を奉請している(「東寺百合文書」こ函46号)。またこれについては『後宇多院御記』文保3年4月5日条によって、奉請文の内容が裏付けられる。 ②後醍醐天皇「舎利奉請誡文」は、正中元年(1324)12月14日、甲乙あわせて37粒の舎利を奉請したときのものである。このとき後醍醐天皇は、これは「国家安泰、弘法利生」のためであり、私心はなく、先例としてはいけないと断っている。そのうえで、今後はみだりに奉請することを禁じ、もし奉請する時は甲壺から奉請してはならず、乙壺も2・3粒を限度とするよう、後代を誡めている。 ③後光厳天皇「舎利奉請文」は、貞治2年(1363)6月8日、天皇が東寺舎利を奉請したついでに光明峯寺に安置されていた金色の舎利一粒を東寺に返却、今後他散することのないように申し置いたものである。 また『仏舎利勘計記』(「東寺百合文書」東寺文書丙号外18号)によると、後宇多と後醍醐の奉請文は、仏舎利とともに「小塗桶」のなかに納められていたことがわかる。後光厳の奉請文が「小塗桶」のなかに納められていた明証はないが、これらの奉請文が仏舎利とともに「小塗桶」のなかにあることで、のちの奉請を行おうとする天皇に対して、ある程度抑制力をもったようである。 収納方法としては、宝蔵全体でみると、「小塗桶」が御道具唐櫃のなかに納められ、御道具唐櫃が舎利厨子のなかにあり、さらに舎利厨子が宝蔵の中央に安置されるという、厳重な保管形態を取っていた。奉請文は宝蔵伝来の文書のなかで、もっとも重要な文書であると位置づけられていた。 このように3通の舎利奉請文は、空海が請来した仏舎利の奉請という、日本における舎利信仰の一側面を表す文書であり、舎利とともに「小塗桶」のなかに納められることで、舎利の奉請粒数を抑制する一定の効果が認められていた。物とともに保管される文書の機能を明らかにすることができるという意味でも、古文書学的に興味深い。