国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
主情報
名称
:
福井の戸祝いとキツネガリ
ふりがな
:
ふくいのといわいときつねがり
福井の戸祝いとキツネガリ
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種別1
:
風俗慣習
種別2
:
年中行事
その他参考となるべき事項
:
公開期日:毎年1月14日ほか(※選択当時:お出かけの際は該当の市町村教育委員会にお問い合わせください)
選択番号
:
選択年月日
:
2019.03.28(平成31.03.28)
追加年月日
:
選択基準1
:
(一)由来、内容等において我が国民の基盤的な生活文化の特色を示すもので典型的なもの
選択基準2
:
選択基準3
:
所在都道府県、地域
:
福井県
所在地
:
保護団体名
:
特定せず
福井の戸祝いとキツネガリ
解説文:
詳細解説
福井の戸祝いとキツネガリは,福井県内に伝承される小正月の行事で,子供たちがバイやイワイギなどと呼ばれる祝い棒を持って集落内を回り、家の玄関先や前庭などで棒を叩きながら唱え歌をうたい、五穀豊穣や無病息災を祈願するとともに災厄を祓う。
戸祝いは,新年の予祝と招福を目的とする行事で,キツネガリは,農作物などを荒らす害獣の象徴とされる狐を村境に追い払う除災の行事である。本来は別々に行われていた行事であるが,ともに小正月の行事で時期的な重なりもあり,福井県においては,両者が習合した形で行われている地域が少なくない。その分布は,美浜町や若狭町,小浜市,おおい町など若狭地方に色濃くみられる。
行事の担い手は,幼児から小中学生の子供たちで,参加する子供たちの中の年長者が「大将」などと呼ばれ,村回りの先頭を歩き,唱え歌の号令をかけるなど指導的な役割をつとめる。祝い棒は,ヌルデやヤナギなどの木の皮を削り,槌状や棒状に細工したもので,宝珠や松竹梅など縁起の良い図柄が墨で描かれている。行事の期日は,かつては1月14日の小正月前夜に行われてきたが,14日の午後や14日前後の日曜日に移して行う地域が増えている。
(解説は選択当時のものです)
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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福井の戸祝いとキツネガリ
福井の戸祝いとキツネガリ
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福井の戸祝いとキツネガリ
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福井の戸祝いとキツネガリ
解説文
福井の戸祝いとキツネガリは,福井県内に伝承される小正月の行事で,子供たちがバイやイワイギなどと呼ばれる祝い棒を持って集落内を回り、家の玄関先や前庭などで棒を叩きながら唱え歌をうたい、五穀豊穣や無病息災を祈願するとともに災厄を祓う。 戸祝いは,新年の予祝と招福を目的とする行事で,キツネガリは,農作物などを荒らす害獣の象徴とされる狐を村境に追い払う除災の行事である。本来は別々に行われていた行事であるが,ともに小正月の行事で時期的な重なりもあり,福井県においては,両者が習合した形で行われている地域が少なくない。その分布は,美浜町や若狭町,小浜市,おおい町など若狭地方に色濃くみられる。 行事の担い手は,幼児から小中学生の子供たちで,参加する子供たちの中の年長者が「大将」などと呼ばれ,村回りの先頭を歩き,唱え歌の号令をかけるなど指導的な役割をつとめる。祝い棒は,ヌルデやヤナギなどの木の皮を削り,槌状や棒状に細工したもので,宝珠や松竹梅など縁起の良い図柄が墨で描かれている。行事の期日は,かつては1月14日の小正月前夜に行われてきたが,14日の午後や14日前後の日曜日に移して行う地域が増えている。 (解説は選択当時のものです)
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詳細解説
福井の戸祝いとキツネガリは、福井県内に伝承される小正月の行事で、子供たちがバイやイワイギなど呼ばれる祝い棒を持って集落内を回り、家の玄関先や前庭などで棒を叩きながら唱え歌をうたい、五穀豊穣や無病息災を祈願するとともに災厄を払う。 戸祝いは、新年の予祝と招福を目的とする行事で、キツネガリは、農作物などを荒らす害獣の象徴とされる狐を村境に追い払う除災の行事である。本来は別々に行われていた行事であるが、ともに小正月の行事で時期的な重なりもあり、福井県においては、多くの地域で両者が習合した形で伝承されている。行事の名称は、「戸祝い」が多いが、ホトトイワイやイワイマショウなどの戸祝い系の呼称、キツネガリやキツネガエリ、ガリアイなどキツネガリ系の呼称を用いる地域もあり、2つの呼称を一対にして行事名称としているところも少なくない。その分布は、敦賀市や美浜町、若狭町、小浜市など若狭地方に色濃くみられる。行事の期日は、かつては1月14日の前夜に行われてきたが、14日午後や14日前後の日曜日に移して行う地域が増えている。 本行事は、幼児から小中学生の男子を主な担い手とする小正月の行事であり、参加する子供たちの中の年長者が「大将」と呼ばれ、この大将が村回りの先頭を歩き、唱え歌の号令をかけるなど指導的な役割をつとめる。しかしながら、近年では、少子化等の理由によって、女子も参加して地区の子供の行事として行っている地域や、大人が同伴して行事の準備や運営を行っている地域もみられる。 行事の当日は、子供たちが集落内にある神社やお堂などに参集した後、大将を先頭にして家々を順番に回る。ただし、喪中の家は訪問しない地域が多い。家に着くと、大将が玄関で訪れたことを告げる声を掛けてから、大将の号令に合わせて、玄関先や庭に置かれた竹や板、角材などをバイで威勢よく叩きながら唱え歌を全員でうたう。この唱え歌は、地域によって若干の差異があるが、「祝いましょう」や「戸祝いましょう」の文句ではじまり、稲の豊作や家の繁盛、牛馬の頭数の増加、狐を脅かして追い立てる言葉などが共通の詞章としてみられる。これらの詞章には、子供たちが歳神の代理として新春を寿ぎ、家々の招福を祈る意味が込められているという。かつては、戸口や玄関の柱を叩いていたが、現在は各家が竹の棒などを事前に用意していることが多く、叩くものがない場合は、2人が1組になり、1人がバイを横に持って互いに打ち合う。祝い棒は、バイやイワイギ、イワイヅツなどと呼ばれ、各自が用意する。ヌルデやヤナギなどの木の皮を削り、槌状や棒状に細工したもので、宝珠や小判、松竹梅、鶴亀、七福神などの縁起の良い図柄が墨で描かれ、五穀豊穣や家内安全などの文字が書き込まれたものもある。 子供たちが唱え歌をうたい終えると、その家の者が外に出て来て、子供たちに労いの言葉を述べ、ご祝儀や菓子、ミカンなどを手渡す。各家からもらうご祝儀などは、子供たちが持参した戸祝い袋に入れておき、行事の終了後に年齢に応じて分けていたが、近年は、地区が菓子袋を平等に用意したり、ご祝儀を集金して事前に分配したりするように変わってきている。また、戸祝いとキツネガリを分けて行うところが若狭地方の一部の地域にみられる。それらの地域では、戸祝いを行う前後に、子供たちが集落の村境でキツネガリの文句を唱えたり、文句を唱えながら集落内の社寺や石造物などを回ったりして災厄を追い払う。(解説は選択当時のものです)