国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
等妙寺旧境内
ふりがな
:
とうみょうじきゅうけいだい
平坦部A(本坊跡)の石積み(南から)
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
中世
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
34
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
2008.03.28(平成20.03.28)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
三.社寺の跡又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡
所在都道府県
:
愛媛県
所在地(市区町村)
:
北宇和郡鬼北町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
平坦部A(本坊跡)の石積み(南から)
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
平坦部A(本坊跡)の石積み(南から)
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平坦部A(本坊跡)の石積み(南から)
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詳細解説
等妙寺旧境内は、愛媛県の南西部、鬼ヶ城連山の郭公岳(標高1010m)の北麓、標高300mほどに立地する天台律宗寺院。元応2年(1320)恵鎮の孫弟子理玉の開基で、法勝寺の遠国四カ戒場の一つとなった。天正16年(1588)に火災により全焼したが、江戸時代には宇和島藩主伊達氏の庇護を受けて再興され、現在に至る。旧境内地は北に開く谷を造成して南北約400m、東西250mの範囲に4つの地区に分かれている。このなかに礎石建物などが伴う平坦面が合計約20箇所みられる。最も広い平坦部が「本坊」であり、その石積みは高さ6m、長さ25mあり壮観である。谷を隔てた東方地区には集石墓群が二つある。貿易陶磁器、国産陶器、土師器、金属製品など多様な遺物が出土しており、寺院が14世紀から16世紀に営まれたことを示している。天台律宗の地方伝播の実態については、具体的な寺院の所在も合わせて不明なところが多いが、等妙寺旧境内は、鎌倉仏教の戒律復興運動の具体的な様相を示すものとして保存状態もよく重要である。