国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
善養寺影向のマツ
ふりがな
:
ぜんようじようごうのまつ
全景
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種別1
:
天然記念物
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
2011.09.21(平成23.09.21)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
(二)代表的原始林、稀有の森林植物相
所在都道府県
:
東京都
所在地(市区町村)
:
東京都江戸川区
保管施設の名称
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所有者種別
:
所有者名
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管理団体・管理責任者名
:
全景
解説文:
詳細解説
善養寺に生育するクロマツの巨木で、樹高約8m、根元周囲4.5mほどである。しかし、地上2mの位置で枝が四方に伸び、東西方向約28m、南北方向約31mにおよぶ樹冠を形成し、均整のとれた枝振りにより日本屈指の樹形を示す。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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クロマツの巨木
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クロマツの巨木
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解説文
善養寺に生育するクロマツの巨木で、樹高約8m、根元周囲4.5mほどである。しかし、地上2mの位置で枝が四方に伸び、東西方向約28m、南北方向約31mにおよぶ樹冠を形成し、均整のとれた枝振りにより日本屈指の樹形を示す。
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詳細解説
対象樹木は東京都江戸川区東小岩の江戸川河畔に位置する真言宗豊山派の善養寺に生育するクロマツの巨木である。樹高約8m、根元周囲4.5mほどであるが、地上2mの位置で枝が四方に伸び、東西方向約28m、南北方向約31mにおよぶ樹冠を形成し、均整のとれた枝振りにより日本屈指の樹形を示している。 善養寺は、寺伝では大永7年(1527)開基となっているが、柴屋軒(さいおくけん)宗長(そうちよう)の手記である「東路のつと」(永正6年、1509)にこの寺に逗留した記録があることから、開創はさらにさかのぼるようである。「新編武蔵風土記稿」(文政11年、1828)の善養寺の項に星降松(ほしくだりのまつ)というものが記されている。しかし、これは別のもので、大町桂月「東京遊行記」(明治39年、1906)では、「一大老松の横にひろがる者あり、凡そ十間四方に及ぶ。支柱百を以て数うべし。これを影向の松という。立てる星下り松に、坐れる影向の松を加えて、東京付近、松の奇観はこの寺に尽きたり」と記され、樹冠の大きくひろがった影向の松と樹高の高い星降松の2本の松があった。また、鏑木清方の「新江東図説」(昭和12年、1937)では、「珍しいのは亭々として雲を凌ぐ星降りの松にも増して、その傍らに巨大な傘をさしかけたような影向の松の方であろう」とあり、約30m四方に水平・棚状に広がった類希な景観から日本の松の横綱とたたえられた。しかし、星降松は昭和15年に台風により枯死し、現在は2世樹が植えられている。 このような経緯があり、昭和50年代に香川県大川郡志度町(現 さぬき市志度町)にある真覚寺の岡野松と繁茂面積日本一を競った。その際には、大相撲立行司木村庄之助により東西の横綱に引き分けられたとの新聞記事が残されている。しかし、岡野松は平成5年に病虫害により枯死したとのことで、影向のマツが日本一の面積を誇るマツとなったといわれている。その後、昭和50年代後半になり、菌害・病虫害等が発生、平成5~6年にも腐朽菌等の被害にあい、著しく樹勢の衰退が進行してきた。そのため、平成13年度の土壌環境調査に始まり、樹勢回復事業を実施することになった。周辺環境の変化に伴い、地下水の流れに変化が起こり、樹勢の衰退が進んだことが分かり、対応策を実施してきた。樹勢回復事業はほぼ完了し、樹勢も回復し良好な状態となった。 影向のマツは、独特の樹形で最大級の樹冠を広げるまでに生育したマツとして大変貴重であり、地域のシンボルとして親しまれ大切にされてきた。よって、天然記念物として指定し一層の保護をはかろうとするものである。