国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
島添大里城跡
ふりがな
:
しましーおおざとじょうあと
正殿遺構(礎石検出状況)
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種別1
:
史跡
種別2
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時代
:
年代
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西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
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特別区分
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指定年月日
:
2012.01.24(平成24.01.24)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
沖縄県
所在地(市区町村)
:
保管施設の名称
:
所有者種別
:
区、個人
所有者名
:
南風原区、個人
管理団体・管理責任者名
:
正殿遺構(礎石検出状況)
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
写真一覧
正殿遺構(礎石検出状況)
正殿北側根石
遺構検出状況
根石と思われる石列
写真一覧
正殿遺構(礎石検出状況)
写真一覧
正殿北側根石
写真一覧
遺構検出状況
写真一覧
根石と思われる石列
詳細解説
島添大里城跡は,沖縄県南城市の標高約150mの舌状に伸びる琉球石灰岩丘陵の東端に位置し,崖を背後に堅固な城壁と天然の地形を巧みに取り入れた,沖縄グスク時代の城跡である。 古文献などによれば,三山(さんざん)時代の島添大里按司(あじ)の居城として,本島島尻(しまじり)地域の東半分を支配する拠点であった。15世紀の初め,尚巴志(しょうはし)によって攻略され,落城した後は尚巴志による三山統一の拠点となり,首里城へ本拠が移転した後は,離宮として使用された。 大里村(現・南城市)教育委員会による発掘調査の結果,城の規模は,南北約210m,東西約270mで,二重の城壁を有し,内郭(ないかく)を囲む城壁は,高さ約6m,長さ約175mが残存し,外郭部分の石積みは城跡の西側と北東側に残り,当時の山南域では最大規模を誇る。また基壇の上に造られた礎石建物の正殿の遺構が残る。中国産陶磁器や金属製品(鉄器・青銅製品),装飾品などが出土した。城に近接して物見台(ものみだい)と考えられるギリムイグスクも所在する。三山時代の島添大里按司の拠点として,また尚巴志による琉球統一の拠点となったとされる歴史的な城跡として貴重である。
関連情報
指定等後に行った措置
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
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異動種別1
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異動種別2
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異動種別3
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異動内容
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