国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
泉坂下遺跡
ふりがな
:
いずみさかしたいせき
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
弥生
年代
:
西暦
:
面積
:
6148.4 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
2017.10.13(平成29.10.13)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
茨城県
所在地(市区町村)
:
茨城県常陸大宮市
保管施設の名称
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所有者種別
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所有者名
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管理団体・管理責任者名
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解説文:
詳細解説
弥生時代中期前葉の再葬墓遺跡。再葬墓とは,遺骸を骨化させ壺に入れて土中に埋める弥生時代中期の北関東・南東北に特徴的な葬制。埋納土器には,人面付壺形土器も存在し,高さ77.7cmはこれまでで最大。遺跡の遺存状況は良好で,弥生時代の葬制の地域差を知る上で重要。弥生時代の再葬墓としては初の指定。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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解説文
弥生時代中期前葉の再葬墓遺跡。再葬墓とは,遺骸を骨化させ壺に入れて土中に埋める弥生時代中期の北関東・南東北に特徴的な葬制。埋納土器には,人面付壺形土器も存在し,高さ77.7cmはこれまでで最大。遺跡の遺存状況は良好で,弥生時代の葬制の地域差を知る上で重要。弥生時代の再葬墓としては初の指定。
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詳細解説
泉坂下遺跡は,市域の東端付近を流れる久(く)慈(じ)川(かわ)とその支流玉(たま)川(がわ)との合流点から北西に約3km,那珂台地から東に下った久慈川右岸の低位段丘上に立地している。 遺跡は,平成18年の鈴木素行による学術目的調査によって確認された再葬墓遺跡である。再葬墓とは、土葬や風葬などによっていったん遺骸を処理し遺骨を土器等に入れて再び埋葬する葬法で、主に東日本の弥生時代中期中葉までに認められる墓制である。 この時の調査では7基の再葬墓を検出し、もっとも注目されたのは、1号墓坑から検出された4個体の土器のうちの1点が非常に大きな人面付壺形土器だったことである。 常陸大宮市教育委員会では、この遺跡の重要性に鑑み、平成24年度から遺跡の範囲、内容を確認するための発掘調査を実施してきた。その結果、再葬墓30基を確認し、1基あたりの埋納土器は1個のものが7基、複数のものが23基で、もっとも多いのは15個に達し、確認できている土器は153個に及ぶ。このほか、16基の土坑を検出した。 墓域は大きく東西の2群に分かれていた。東群では24基の再葬墓が概ね、長辺20m、短辺15mの範囲に収まり、埋納土器が1個だけのものは4基、複数のものが20基で、再葬墓どうし近接して設けられ密集している。西群は、長辺20m、短辺10mの範囲に埋納土器が1個だけのものが3基、複数のものが3基の合計6基で構成され、分布密度は低い。これらはいずれも弥生時代中期前葉に属しているが、東西での分布の密集度に違いがあることが明らかとなった。 また、16基の土坑については、一次葬のためのものという観点から調査が進められた。土坑内から人骨の出土はなく、土壌のリン酸・カルシウム等の分析を行ったものの、人骨の存在を示す結果は得られなかったが、一次葬のためのものである可能性が考えられている。 出土した土器のなかで、注目されるのは人面付壺形土器である。器高77.7cm、口径14.0cmで、この種の土器のなかでは最大であり、口縁部から頸部にかけて、人面の造作は著しく立体的で、特に顎の部分を大きく張り出している点を特徴とする優品である、赤色顔料が右眼下や右顎に部分的に認められることから、人面部は赤彩されていたと考えられる。 出土した土器153点のうち壺が145点である。取り上げた52点のうち、人面付壺形土器を含めて32点の器面の内外に炭化物の付着があり、煮沸痕が認められる。このほか、副葬品として、1基から滑石製の玉が6点出土している。 なお、他の再葬墓遺跡でも認められるものと同様に、当遺跡でも縄文時代後・晩期の遺物が非常に多く出土しており、特に晩期中葉の遺物が密である。 これまでの再葬墓は偶発的に発見されることや後世の削平を受けて遺存状況が良好でない例がみられるなか、泉坂下遺跡は、弥生時代中期前葉の再葬墓遺跡として、遺構の残存状況は極めて良好で、墓域の全貌が判明した事例として貴重であり、現地に未調査の土器が多数遺存している。しかも、東西の2群に分かれ、再葬墓の密集度に違いがあることは、再葬墓が営まれた原理を知る事例を提供し、さらには、人面付壺形土器を発掘調査し、その出土状況が分かった。このように、本遺跡は弥生時代中期の東日本で特徴的に認められる再葬墓遺跡の様相を知ることができるという点で重要である。よって史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。