国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
都塚古墳
ふりがな
:
みやこづかこふん
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
古墳~飛鳥
年代
:
西暦
:
面積
:
3528.0 m
2
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
2017.10.13(平成29.10.13)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
奈良県
所在地(市区町村)
:
奈良県高市郡明日香村
保管施設の名称
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所有者種別
:
所有者名
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管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
6世紀後半から7世紀初頭に飛鳥地域に造られた大型方墳。東西約41m,南北約42m,高さ4.5m以上で,類例のない階段状の多(た)段築(だんちく)をなす。古墳時代から飛鳥時代への移行期の古墳の実態を知る上で重要である。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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解説文
6世紀後半から7世紀初頭に飛鳥地域に造られた大型方墳。東西約41m,南北約42m,高さ4.5m以上で,類例のない階段状の多(た)段築(だんちく)をなす。古墳時代から飛鳥時代への移行期の古墳の実態を知る上で重要である。
詳細解説▶
詳細解説
都塚古墳は、明日香村東南部を流れる冬(ふゆ)野川(のかわ)が形成する細川(ほそかわ)谷(たに)の開口部において、南の竜門山地からゆるやかに伸びる尾根の先端に築造された大型方墳である。眼下には特別史跡石舞台古墳を望む位置に所在する。明和9年(1772)に成立した本居宣長の『菅笠(すががさの)日記(にっき)』の中で、被葬者として用明天皇の伝承があったことが紹介されたのをはじめとして、江戸時代から大正時代にかけて石室や石棺について多くの記録が残されるなど、早くから注目されてきた。 昭和42年度に関西大学文学部考古学研究室によって墳丘の測量調査が行われ、横穴式石室や家形石棺の報告が行われた。その後長らく調査は行われていなかったが、平成25年度から26年度にかけて明日香村教育委員会により古墳の保存と活用を目的として墳丘の発掘調査が行われた。 墳丘の下部は基盤層を整形した基底面で、その上に石室を覆う第1次墳丘と墳形を構成する第2次墳丘の大きく2段階の盛土が施される。盛土部分は6段以上からなる段状を呈しており、各段の高さは0.3~0.6mほどである。各段には拳大から人頭大の川原石による2~3段の石積みが施され、石積みには裏込めとして拳大から人頭大の石材が充填される。各段のテラス面の幅は約1mで、化粧土が施される。墳丘北側の裾部では、幅1.0~1.5m、深さ約0.4mの周溝があり、周溝の北側法面(のりめん)には人頭大の葺石が施される。以上のように、6段以上の段築からなる類例のない階段状の多段築(ただんちく)構造を持つ、特徴的な墳丘形態を呈している。墳丘の規模は、東西41m、南北42m、高さ4.5m以上である。なお、現状では周溝は墳丘北側での検出に留まるが、周溝は墳丘を全周していた可能性があり、その場合、古墳の範囲は東西・南北ともに45m程度に及ぶとみられる。 埋葬施設は、墳丘の南西に開口する両袖式(りょうそでしき)の横穴式(よこあなしき)石室(せきしつ)で、全長12.2m以上、玄室は長さ5.2m、幅2.8m、高さ3.55m、羨道は長さ6.9m以上、幅1.9~2.0m、高さ2mで、穹窿状(きゅうりゅうじょう)の天井部をなす。石室の玄室から羨道にかけてバラスが敷かれており、中軸には幅0.4m、深さ0.2mの暗渠(あんきょ)排水溝が設けられている。玄室の中央には蓋と身を完存する二上山産(にじょうざんさん)凝灰岩(ぎょうかいがん)製の刳抜式(くりぬきしき)家形(いえがた)石棺(せっかん)が安置されている。石棺の規模は、棺身の長さ2.23m、幅1.46m、高さ1.08mで、内法は長さ1.74m、幅0.82m、深さ0.65mである。蓋を含めた石棺の総高は1.72mである。 玄室内では石棺の南側に5点の川原石が置かれている。そのうち4石が長方形の四隅をなすように配置されており、鉄釘や微量の赤色顔料の出土と合わせて木棺が安置されていた可能性が指摘されている。 石室内からの出土遺物として、土師器(はじき)・須恵器(すえき)や刀子(とうす)・鉄(てつ)鏃(ぞく)・小札(こざね)などがある。 横穴式石室や家形石棺の形態、出土遺物から古墳の年代は6世紀後半から7世紀初頭と考えられる。 このように、都塚古墳は、いわゆる飛鳥地域に築造された類例のない階段状の多段築構造を持つ大型方墳であり、畿内地域において前方後円墳の築造が終了へと向かう中、最上位の墳形として大型方墳が導入されていく段階の様相を示している。古墳時代から飛鳥時代への移行期の古墳の実態をよく示す事例として重要である。また、石室と石棺が良好な状態で保存されており、埋葬施設の遺存状態は非常に良好である。よって、史跡に指定して保護を図ろうとするものである。