国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
森鴎外旧宅
ふりがな
:
もりおうがいきゅうたく
森鴎外旧宅
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
328
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
1969.10.29(昭和44.10.29)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
八.旧宅、園池その他特に由緒のある地域の類
所在都道府県
:
島根県
所在地(市区町村)
:
鹿足郡津和野町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
森鴎外旧宅
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
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森鴎外旧宅
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森鴎外旧宅
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詳細解説
S43-12-012森〓(*1)外旧宅.txt: 〓(*1)外森林太郎は、文久2年1月、石見国鹿足郡津和野の城下に、典医森家の長男として生まれた。父は静男、母は峰子、林太郎は、横堀の自宅で、慶応3年、6歳のときから論語を学び、以後、明治5年、11歳にいたるまで、あるいは藩校養老館において漢籍を学び、あるいは父や師について和蘭文典を学んだ。藩校での成績は抜群で、藩主亀井[[〓(*2)監]これみ]は上京修学をすすめ、たまたま明治5年、父が藩主に従い侍医として東京に移ったのを機に、林太郎も上京し、ひとり神田の西周邸に寄寓して、本郷進文学舎に学び、7年、東京医学校予科、10年、本科(東京大学医学部と改称)に進んだのである。その後の経歴、とくに知識人文学者としての名声については周知のところであるが、津和野の旧居は、〓(*1)外がそこで生まれ、11歳までの幼年時代をすごし、生涯の基礎を形成したところである。 屋敷は城下の旧屋敷町の遺構である堀跡にそった道路に面する敷地内に、木造平家建茅葺(現在は瓦葺に改装)として建てられ、間取りは縦の喰違型で、とくに、上手の4畳半の茶室は父が〓(*1)外の勉強部屋として与えたものといわれる。この建物は嘉永6年の大火直後のものであろう。