国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
天霧城跡
ふりがな
:
あまぎりじょうあと
天霧城跡遠景
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詳細解説表示▶
種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
64
特別区分
:
特別以外
指定年月日
:
1990.05.16(平成2.05.16)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
所在都道府県
:
香川県
所在地(市区町村)
:
善通寺市碑殿町・吉原町、仲多度郡多度津町、三豊市
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
天霧城跡遠景
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
天霧城跡遠景
天霧城跡石塁
写真一覧
天霧城跡遠景
写真一覧
天霧城跡石塁
詳細解説
S52-12-042天霧城跡.txt: 天霧城は、仲多度平野西北に位置する天霧山に築かれた中世讃岐国の豪族香川氏の居城である。香川氏は、南北朝時代には、細川氏の被官になっていたようであり、天平17年、細川頼之に従って坂出の南朝方の細川清氏を攻め滅ぼした際、その軍功により讃岐の三野・豊田・多度三郡を所領として与えられ、この時、多度津の本台山に居館を設け、天霧山に詰城を築いたと伝えられる。のち、天正13年(1585)に、香川氏が、土佐に移った後廃絶した。 天霧山の最高所の馬背状尾根には、天霧城の主郭ともいうべき大小10区画の郭が階段状に連らなり、これらの郭群は鞍部にある幅5メートル、深さ3メートルの堀切によって二分される。この尾根の北端から北方へのびる尾根は、多度津に至る大手道であり、三群の段状郭遺構がみとめられる。また、山頂から東北方に屈曲する尾根に三群15個所、東方へ続く尾根にも大小11個所の郭跡がある。山頂から西南、いわば搦手であり、尾根沿いにも郭跡等の遺構が残存する。なお、水手としては、馬背状尾根の堀切附近に岩を穿った井戸、西南尾根鞍部附近に「池窪」の名をのこす湧水池跡が確認されている。 天霧城跡は、南北朝時代から戦国時代に至る四国の政治勢力の動向を知る上で逸することのできない遺跡であり、その遺構も、中世山城の好例を示すものである。