国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
慧日寺跡
ふりがな
:
えにちじあと
慧日寺跡中心伽藍の鳥瞰
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
1970.12.04(昭和45.12.04)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
1986.08.06(昭和61.08.06)
指定基準
:
三.社寺の跡又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡
所在都道府県
:
福島県
所在地(市区町村)
:
耶麻郡磐梯町
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
慧日寺跡中心伽藍の鳥瞰
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
写真一覧
慧日寺跡中心伽藍の鳥瞰
史跡整備事業で復元された金堂・中門
講堂跡・食堂跡の平面表示整備
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慧日寺跡中心伽藍の鳥瞰
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史跡整備事業で復元された金堂・中門
写真一覧
講堂跡・食堂跡の平面表示整備
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詳細解説
慧日寺は、法相宗の徳一が創建したもので、民間信仰、ことに山岳信仰と密接な関係をもち、磐梯山を奥院として成立したものと考えられる。その後、会津一円を支配し、僧兵集団を保持し、封建領主としての権力をそなえた。平安末期から鎌倉時代にかけてのころ、密教化-[[修験]しゅげん]化の方向をたどり、鎌倉末期から室町時代にかけて磐梯修験と強力な結びつきをもったと思われる。16世紀後半、伊達・葦名の合戦の際、兵火にかかり若干の堂宇を残すのみとなった。 旧寺域は、ほぼ一町で、塔跡等には礎石が遺存し、金堂跡には磐梯神社が建っているほか、戒壇跡と称されている墳丘状の遺跡や徳一廟も残っている。 <昭和61年追加指定> 平安時代初期、徳一の草創するところという〓(*1)日寺は、磐梯山信仰と密接な関係をもちながら、次第に密教化し、磐梯修験の霊場として名を馳せるようになったと考えられるが、最近磐梯高原一帯に観光開発の波が押し寄せて来出したほか、昭和59年度より史跡指定地の四周で圃場整備事業が行われ出したため、磐梯町教育委員会は、遺跡踏査の密度を高める一方、必要箇所の発掘調査に意を用いている。今回その成果の一部を反映させるため、 (1)史跡〓(*1)日寺跡の東北約1・7キロメートル、古城峰南麓で、礎石・石積みが遺存している地 (2)通称戒壇跡の南で、礎石建物跡・掘立柱建物跡が検出された地 (3)指定地の中心部の北・南西・北東部で遺跡が広がっていると考えられる地 の3か所を追加指定する。 永正の『恵日寺絵図』より推せば、(1)は観音寺跡、(2)は常行寺跡または花輪寺跡ではないかと思われ、(3)を含む寺院中心部の既指定地と一体として保存を図るものである。
関連情報
指定等後に行った措置
1986.08.06(昭和61.08.06)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
1986.08.06(昭和61.08.06)
異動種別1
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追加指定
異動種別2
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異動種別3
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異動内容
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