国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
曽谷貝塚
ふりがな
:
そやかいづか
貝塚
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種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
縄文時代中期後半から後期後半
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
1979.12.22(昭和54.12.22)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2016.03.01(平成28.03.01)
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
千葉県
所在地(市区町村)
:
市川市曽谷二丁目
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
貝塚
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
写真一覧
貝塚
竪穴住居跡
曽谷貝塚
曽谷貝塚
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貝塚
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竪穴住居跡
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曽谷貝塚
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曽谷貝塚
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詳細解説
曽谷貝塚は、千葉県北部地域に広がる下総台地の西南縁部に位置する。市川付近の台地は、南北方向の谷によって東西に3分されており、西から国分台、曽谷台、柏井台と呼ばれ、それぞれの台地には数多くの貝塚が分布している。曽谷貝塚は、この中の曽谷台に位置し、大規模な馬蹄形貝塚として、近くの堀之内貝塚や姥山貝塚と共に、早くから全国的に著名なものとなっている。 本貝塚は、明治末頃の高橋百太郎氏らによる発掘以来、しばしば調査の手が加えられた。その中で、昭和34年の明治大学による発掘と地形測量、昭和49年から53年にわたる市川市教育委員会による継続的な発掘調査は、本貝塚の概要を明らかにするものであった。 本貝塚は、標高22~25メートルの台地上の窪地の周囲に形成されており、東西210メートル・南北240メートルの規模で、北の谷側を開口部とする馬蹄形をなしている。ただ、貝層は一連でなく、東側に2つ、西側に1つの貝層ブロックが独立的に存在している。この地に、裾野にあたる周辺部に小貝塚ブロックが点在しており、集落としての大きな広がりが予想される。竪穴住居は、窪地周囲の土手状の高まりの頂部から外側にかけて設けられ、貯蔵穴と推定されるピットは高まり頂部から少し入ったところに多く設けられている。埋葬人骨も特に集中することなく、高まりの頂上付近で点々と発見されている。中央の窪地は未調査であるが顕著な遺構はなく、広場であったと推定される。調査によって発見された遺物は、繩文時代早期後半のものから晩期初頭のものまで、断続的にみられるが、竪穴住居を中心とする遺構は、前期から後期にかけてのものに限られており、その中でも顕著なものは質量ともに後期に集中している。したがって、本遺構の住居や貝塚形成の中心は、繩文時代後期にあるといえる。 曽谷貝塚は、全国でも稀にみる大きな規模を有し、遺跡の残存状況も良好であって、学術上きわめて高い価値を有するものである。
関連情報
指定等後に行った措置
2016.03.01(平成28.03.01)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2016.03.01(平成28.03.01)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
:
異動種別3
:
異動内容
: