国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)
ふりがな
:
ほっけどうあと(みなもとよりとものはか・ほうじょうよしときのはか)
法華堂跡
写真一覧▶
地図表示▶
詳細解説表示▶
種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
1927.04.08(昭和2.04.08)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
2006.07.28(平成18.07.28)
指定基準
:
三.社寺の跡又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡,七.墳墓及び碑
所在都道府県
:
神奈川県
所在地(市区町村)
:
鎌倉市雪ノ下・西御門
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
法華堂跡
解説文:
詳細解説
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
添付ファイル
なし
写真一覧
法華堂跡
法華堂跡
法華堂跡(源頼朝墓)
法華堂跡(源頼朝墓)
法華堂跡(北条義時墓)
法華堂跡(北条義時墓)
写真一覧
法華堂跡
写真一覧
法華堂跡
写真一覧
法華堂跡(源頼朝墓)
写真一覧
法華堂跡(源頼朝墓)
写真一覧
法華堂跡(北条義時墓)
写真一覧
法華堂跡(北条義時墓)
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
詳細解説
法華堂阯ハ西御門ニ在リテ頼朝墓ノ下西側ニアリ、始メ頼朝ノ持佛堂ニシテ其ノ薨去後其ノ廟所トナレリ 江戸時代ニハ八幡宮供僧坊ノ管理ニ属セシカ維新後廃セラル 今地域内ニ白旗神社ノ小祠ヲ祀ル 法華堂阯ノ背後ナル丘陵ノ中腹ニアリ長方形ニ石疊ヲ敷キ土鏝頭ノ上ニ高サ七尺ノ多重塔一基ヲ建テ石玉垣ヲ周ラセリ 法華堂跡(源頼朝墓)は、神奈川県の南東部に位置し、大蔵幕府跡推定地北側の山稜部とその南側山裾部に所在する。昭和二年の山稜中腹部の塚と石塔を源頼朝墓、山裾部の廟所跡(現在の白旗神社境内)を法華堂跡として史跡指定した。その後、赤星直忠氏の研究によって、源頼朝墓は法華堂と同一で、中腹の平場が法華堂跡であることが明らかにされ、平成十二年に法華堂跡(源頼朝墓)に統合・名称変更された。指定範囲は東西約一一〇メートル、南北約七〇メートルである。 二代執権、北条義時は元仁元年(一二二四)年六月十三日に死去し、十八日に葬儀が執り行われた。『吾妻鏡』十八日条に「故右大将家法華堂東の山上を以て墳墓となす」、八月八日条に「今日。故奥州禅室墳墓堂<新法花堂と号す。>供養なり」とあり、法華堂跡(源頼朝墓)の東隣の山稜平坦地が北条義時の法華堂跡と推定されていた。『吾妻鏡』をはじめとする文献史料には、幕府有力者が頼朝法華堂と義時法華堂を併せて参拝したこと、焼亡した両法華堂が幕府によって再興され、修復維持されていたことなどが記されている。義時法華堂の存続期間は、文献史料上の終見が延慶三年(一三一〇)であること(『鶴岡社務記録』等)、出土瓦の年代等から、元仁元年から鎌倉時代末期ころまでと推定される。 鎌倉市教育委員会は平成十七年に発掘調査を実施し、一辺約二八尺(八・四八メートル)の方三間堂で、幅約四尺(一・二一メートル)の縁が巡る法華堂跡を検出した。四周(南側は消失)には雨落ち溝が巡り、軒の規模で一辺四一尺(一二・四メートル)と推定される。鎌倉時代前期から後期の瓦が出土しており、瓦葺きと推定され、高麗青磁梅瓶、青白磁水注破片等の高級貿易磁器も出土している。近世以降の耕作等による削平を受けており、埋葬施設等は検出されなかった。義時法華堂跡境内の範囲は東西約八〇メートル、南北約一一〇メートルである。 義時法華堂跡裏の斜面部には、近世に島津家と毛利家の墓所が営まれた。安永八年(一七七九)に鹿児島藩主島津重豪が島津氏初代忠久墓を造営し、頼朝墓を整備した。文政六年(一八二三)には萩藩主毛利斉煕が毛利氏初代季光墓と季光父の大江広元墓を造営した。墓所はいずれも古墳時代の横穴墓を転用したものである。東側は島津忠久墓、中央が大江広元墓、西側が毛利季光墓で、島津家、毛利家は参道、石段、灯籠等も併せて整備している。 頼朝の法華堂跡は標高二五・五メートル、約九〇〇平方メートルの平場に、義時の法華堂跡は標高二三・五メートル、約六〇〇平方メートルの平場に造営されており、両者の主従関係を明示している。両法華堂跡は幕府を守護し、幕府の精神的な拠り所となった墓所跡、寺院跡である。よって北条義時の法華堂跡と源頼朝墓の参道付近を追加指定し、名称を法華堂跡(源頼朝墓)から法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)に変更し、保護を図ろうとするものである。
関連情報
指定等後に行った措置
1927.06.14(昭和2.06.14)
2000.01.31(平成12.01.31)
2006.07.28(平成18.07.28)
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
1927.06.14(昭和2.06.14)
異動種別1
:
史跡
異動種別2
:
異動種別3
:
異動内容
:
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2000.01.31(平成12.01.31)
異動種別1
:
名称変更
異動種別2
:
追加指定
異動種別3
:
統合
異動内容
:
関連情報
指定等後に行った措置
異動年月日
:
2006.07.28(平成18.07.28)
異動種別1
:
追加指定
異動種別2
:
名称変更
異動種別3
:
異動内容
:
北条義時墓の法華堂跡部分等を追加し、名称変更を行った。