国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
史跡名勝天然記念物
主情報
名称
:
宮口古墳群
ふりがな
:
みやぐちこふんぐん
宮口古墳群
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
種別1
:
史跡
種別2
:
時代
:
年代
:
西暦
:
面積
:
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
特別区分
:
指定年月日
:
1976.05.06(昭和51.05.06)
特別指定年月日
:
追加年月日
:
指定基準
:
一.貝塚、集落跡、古墳その他この類の遺跡
所在都道府県
:
新潟県
所在地(市区町村)
:
上越市牧区
保管施設の名称
:
所有者種別
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
宮口古墳群
解説文:
新潟県南部の[[頸城]くびき]平野の東辺にあたる牧村の背後、八幡堂丘陵上とその北東に展開する扇状地上に営まれた後期古墳群である。八幡堂丘陵には8基の横穴式石室墳が稜線上に点在しており、比較的規模の近似した石室からなっている。最大規模の第2号古墳で全長5.4メートルであり、最小のものでも全長4メートルを測る。丘陵下の扇状地に所在する16基の横穴式石室墳は、1.5ヘクタールという狭い範囲に集中しており、規模の大きな第11号古墳の石室は玄室の長さ6.6メートル、幅1.4メートル、羨道の長さ2.07メートル、幅0.8メートルをはかる雄大なものであり、小規模なものは玄室の長さ1.7メートル、幅0.65メートル、羨道長さ0.85メートル、幅0.63メートルを測る小石室である。16基中にはこうした小石室墳が数基確認されており、追葬を配慮した石室と1人の被葬者を意識した石室の2者が見事に対応している。石室は、すべて河原石積の側壁をもち、床面の敷石や羨道閉塞の実際をよく遺存する例がきわめて多い。遺物の検出は追葬を意識した古墳に見られ、6世紀末葉から7世紀前葉に位置づけられるが、小石室墳からは副葬品の発見はなく、位置から見て後出するものかと考えられる。日本海沿岸北部における顕著な古墳時代後期の群集墳としてきわめて重要なものであり、群の在り方、構造を通じてこの地域の動向を窺いうる貴重なものといえる。
関連情報
(情報の有無)
指定等後に行った措置
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
宮口古墳群
写真一覧
宮口古墳群
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
新潟県南部の[[頸城]くびき]平野の東辺にあたる牧村の背後、八幡堂丘陵上とその北東に展開する扇状地上に営まれた後期古墳群である。八幡堂丘陵には8基の横穴式石室墳が稜線上に点在しており、比較的規模の近似した石室からなっている。最大規模の第2号古墳で全長5.4メートルであり、最小のものでも全長4メートルを測る。丘陵下の扇状地に所在する16基の横穴式石室墳は、1.5ヘクタールという狭い範囲に集中しており、規模の大きな第11号古墳の石室は玄室の長さ6.6メートル、幅1.4メートル、羨道の長さ2.07メートル、幅0.8メートルをはかる雄大なものであり、小規模なものは玄室の長さ1.7メートル、幅0.65メートル、羨道長さ0.85メートル、幅0.63メートルを測る小石室である。16基中にはこうした小石室墳が数基確認されており、追葬を配慮した石室と1人の被葬者を意識した石室の2者が見事に対応している。石室は、すべて河原石積の側壁をもち、床面の敷石や羨道閉塞の実際をよく遺存する例がきわめて多い。遺物の検出は追葬を意識した古墳に見られ、6世紀末葉から7世紀前葉に位置づけられるが、小石室墳からは副葬品の発見はなく、位置から見て後出するものかと考えられる。日本海沿岸北部における顕著な古墳時代後期の群集墳としてきわめて重要なものであり、群の在り方、構造を通じてこの地域の動向を窺いうる貴重なものといえる。