国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
世界遺産
主情報
名称
:
姫路城
ふりがな
:
ひめじじょう
構成資産
:
姫路城
登録基準1
:
「姫路城」は、木造建造物群の傑作である。同時にそれは、白漆喰の使用及び、多数の建築群と屋根の重なりが築く繊細な構成の両面において、合理的機能を卓越した美に結合させている。
登録基準2
:
登録基準3
:
登録基準4
:
「姫路城」は、日本の木造城郭建築の最高点を表し、その重要な特徴を損傷なく保存している。
登録基準5
:
登録基準6
:
所在都道府県
:
兵庫県
所在地(市区町村)
:
姫路市
解説文:
詳細解説
木造の建物を配し、石造の城壁と白色の土塀をめぐらせる日本の独特の城郭の様式は16世紀中頃に確立しました。姫路城はこの城郭建築の最盛期の遺産であり、17世紀初頭の日本の城郭を代表するものです。日本の城の中でも、木造の城郭建築群と城壁・土塀から構成される構造物が特に良く残っています。 この城は、白壁で統一された優美な外観から、白鷺城の別称があり、その名でも広く知られています。姫路は西日本の交通の要衝の地にあたり、1600年に城主となった大名池田輝政が翌年から1609年にかけてこの地にあった古城を廃して新たに城を建造しました。現在残る姫路城の構造物や建物はこの時のもので、周囲は内外二重の濠で囲まれています。 内濠と高い石垣に囲まれた内郭地域には城柵主要部と城主の居館が造営され、内濠と外濠のあいだの外郭地域には武家屋敷がありました。その外は一般民衆の居住地と商業地からなる城下町であり、その周囲にも濠が巡っていました。内郭地域の城郭建築は当初の姿がほぼ完全に残っており、外郭地域とあわせて、整備基本構想のもとに保存・整備が進められています。
構成資産
姫路城
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史跡名勝天然記念物
姫路城跡
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城大天守
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城東小天守
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城乾小天守
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城西小天守
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城イ、ロ、ハ、ニの渡櫓 (イの渡櫓)
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城イ、ロ、ハ、ニの渡櫓 (ロの渡櫓)
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城イ、ロ、ハ、ニの渡櫓 (ハの渡櫓)
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城イ、ロ、ハ、ニの渡櫓 (ニの渡櫓)
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 菱の門
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 はの門
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 にの門
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 ぬの門
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 との一門
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 いの門
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 ろの門
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 への門
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 との二門
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 との四門
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 ちの門
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 りの門
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 水の一門
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 水の二門
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 備前門
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 イの渡櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 ロの渡櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 ハの渡櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 ニの渡櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 ヘの渡櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 ホの櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 トの櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 井郭櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 帯の櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 帯郭櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 折廻り櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 太鼓櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 チの櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 リの一渡櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 リの二渡櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 ニの櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 ロの櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 化粧櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 カの渡櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 ヌの櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 ヨの渡櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 ルの櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 タの渡櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 ヲの櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 レの渡櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 ワの櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 カの櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 との四門東方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 との四門西方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 との二門東方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 との一門東方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 への門東方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 への門西方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 水の一門北方築地塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 水の一門西方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 ニの櫓南方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 水の五門南方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 イの渡櫓南方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 にの門東方下土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 にの門東方上土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 ロの櫓東方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 ロの櫓西方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 はの門東方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 はの門南方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 はの門西方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 ろの門東方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 ろの門西南方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 化粧櫓南方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 ワの櫓東方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 カの櫓北方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 菱の門東方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 菱の門西方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 菱の門南方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 いの門東方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 太鼓櫓南方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 太鼓櫓北方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 帯郭櫓北方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 井郭櫓南方土塀
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国宝・重要文化財(建造物)
姫路城 トの櫓南方土塀
解説文
木造の建物を配し、石造の城壁と白色の土塀をめぐらせる日本の独特の城郭の様式は16世紀中頃に確立しました。姫路城はこの城郭建築の最盛期の遺産であり、17世紀初頭の日本の城郭を代表するものです。日本の城の中でも、木造の城郭建築群と城壁・土塀から構成される構造物が特に良く残っています。 この城は、白壁で統一された優美な外観から、白鷺城の別称があり、その名でも広く知られています。姫路は西日本の交通の要衝の地にあたり、1600年に城主となった大名池田輝政が翌年から1609年にかけてこの地にあった古城を廃して新たに城を建造しました。現在残る姫路城の構造物や建物はこの時のもので、周囲は内外二重の濠で囲まれています。 内濠と高い石垣に囲まれた内郭地域には城柵主要部と城主の居館が造営され、内濠と外濠のあいだの外郭地域には武家屋敷がありました。その外は一般民衆の居住地と商業地からなる城下町であり、その周囲にも濠が巡っていました。内郭地域の城郭建築は当初の姿がほぼ完全に残っており、外郭地域とあわせて、整備基本構想のもとに保存・整備が進められています。
詳細解説▶
詳細解説
姫路城の所在する地は古来西日本の交通の要衛にあたることから、16世紀末には後に日本を統一した豊臣秀吉により城が築かれた。その後、1600年に徳川幕府の大名として城主となった池田輝政が、1601年から1609年にかけて古城を廃して新たに城を築造しなおした。現在残されている姫路城の建造物群や二重の濠(内濠・外濠)で囲んで内郭と外郭に分ける所在地域の構成は、ほぼ池田輝政時代のものである。当時の建造物は、軍事防御施設である天守や櫓・塀・門と、城の居館から構成されていた。その後1617年に城主となった本多忠政が徳川家康の娘を迎えたため、内郭の西端の一郭だけは改修されている。 城は、それを中心にして城下町が形成され、城主たる大名は交代したが、270年間、藩の中心として機能した。1868年、幕府が倒れ、新政府によって各地の城郭は破却された。この姫路城も新政府の軍用地(国有地)となり、内郭西端の一郭にあった御殿や外郭の建物(武家屋敷)が除かれ、陸軍師団司令部施設や兵舎が建設された。しかし、天守群等をはじめとする内郭の重要な建造物群は残されることになった。一時は城内の荒廃が著しく、売却の危機もあったが、陸軍大佐であった中村重遠らの努力により保存されることとなった。1919年に制定された史蹟名勝天然記念物保存法により、1929年に史跡に、さらに1929年に制定された国宝保存法により1931年に国宝に指定され、文化財としての保存の道が開かれた。それらは現在の文化財保護法に引き継がれている。この間、第二次世界大戦では幸い空襲にあわず、敗戦による軍隊の廃止に伴い、所在地域の兵舎等の軍用施設が官庁等の公共建築に建て替わったが、城の内郭中心部の指定建造物は今日までよく保存維持されている。 なお、自然災害については、創建以来、地震で被害を受けたことはなく、台風により指定建造物の一部の屋根瓦や壁等に被害を幾度か受けているが、倒壊にいたるような大規模な被害はない。