国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
世界遺産
主情報
名称
:
厳島神社
ふりがな
:
いつくしまじんじゃ
構成資産
:
厳島神社
登録基準1
:
荘厳な「厳島神社」は、時の権力者である平清盛によって、12世紀に造営された。社殿群の構成は、同時代の貴族の住宅様式の流れを汲み、優れた建築景観を形成している。印象的な山容を背景として海上に建ち、社殿群が一体となって作り上げる美しさは、清盛の卓越した発想によるものであり、世界の建築の中でも独特である。「厳島神社」は、人の手と自然の要素とが結合した顕著な作品として、平清盛の偉業の物証である。
登録基準2
:
「厳島神社」の社殿群は、山などの自然物を御神体として祀り、遥拝所を置いて崇拝するという日本の神社の一般的な伝統を示している。多くの場合、遥拝所は山麓に建てられるが、「厳島神社」を構成する社殿は海上に建ち、人の手になる建築、前面の海、背後の山の3者が成す景観は、他の日本の景勝地を評価する上で対比すべき日本人の美意識の一基準として認識されてきた。これらは日本に現存する神社建築の中でも独特のものであり、日本人の精神文化、すなわち山水の美に係る日本人の観念を理解する上で貴重な情報を提供している。
登録基準3
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登録基準4
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「厳島神社」の建造物群は、12世紀の建築後、2度にわたって再建されたにもかかわらず、精緻な再建が行われたことから、12世紀後期から13世紀初期にかけての神社建築の様式を現在に伝えている。また、周囲の景観と一体をなす社殿は自然崇拝の物理的表現とも言えるものであり、日本の古式の社殿を知る上での顕著な見本として重要である。
登録基準5
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登録基準6
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神道は、主として自然に宿る多くの神々を崇拝する宗教であり、その起源は原始時代にまで遡る。長い歴史の中で、神道は、大陸の影響と日本に固有の伝統との一体化を図りつつ、世界でも独特な宗教の一つへと発展を遂げた。日本人の精神生活は、この宗教に深く根ざしている。神社としての「厳島神社」は、日本の宗教の特徴を理解する上で重要な手がかりを提供している。
所在都道府県
:
広島県
所在地(市区町村)
:
廿日市市宮島町
解説文:
詳細解説
厳島神社は瀬戸内海の島を背後にして、その入江の海の中に木造建物が立ち並ぶ日本でも珍しい神社です。社殿構成は12世紀にはじまりましたが、その後焼失し、1241年に再建されました。海に建つ木造建物として過酷な環境下にありながら、歴代政権の厚い庇護に支えられて、古い様式を今に伝えています。 社殿背後の厳島は約30平方キロメートルの島で、特別史跡及び特別名勝に指定されています。古くから主峰である弥山(海抜530m)が崇敬の対象となり、島全体が神聖視されていました。ここに神社が造営されたのもその故であると考えられます。また、厳島の緑濃い森林が海岸線に迫る美しい自然景観は、17世紀頃から「日本三景」の一つとして称えられてきました。特異な構造を持つ厳島神社はこのような自然景観の中、海に向かって建ち並んでいます。
構成資産
厳島神社
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国宝・重要文化財(建造物)
厳島神社 本社本殿、幣殿、拝殿
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国宝・重要文化財(建造物)
厳島神社 本社祓殿
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国宝・重要文化財(建造物)
厳島神社 摂社客神社本殿、幣殿、拝殿
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国宝・重要文化財(建造物)
厳島神社 摂社客神社祓殿
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国宝・重要文化財(建造物)
厳島神社 廻廊 (東廻廊)
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国宝・重要文化財(建造物)
厳島神社 廻廊 (西廻廊)
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国宝・重要文化財(建造物)
厳島神社 朝坐屋
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国宝・重要文化財(建造物)
厳島神社 能舞台
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国宝・重要文化財(建造物)
厳島神社 揚水橋
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国宝・重要文化財(建造物)
厳島神社 長橋
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国宝・重要文化財(建造物)
厳島神社 反橋
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国宝・重要文化財(建造物)
厳島神社大鳥居
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国宝・重要文化財(建造物)
厳島神社摂社大国神社本殿
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国宝・重要文化財(建造物)
厳島神社摂社天神社本殿
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国宝・重要文化財(建造物)
厳島神社五重塔
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国宝・重要文化財(建造物)
厳島神社多宝塔
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国宝・重要文化財(建造物)
厳島神社末社荒胡子神社本殿
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国宝・重要文化財(建造物)
厳島神社末社豊国神社本殿(千畳閣)
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国宝・重要文化財(建造物)
厳島神社摂社大元神社本殿
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国宝・重要文化財(建造物)
厳島神社宝蔵
厳島
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史跡名勝天然記念物
厳島
解説文
厳島神社は瀬戸内海の島を背後にして、その入江の海の中に木造建物が立ち並ぶ日本でも珍しい神社です。社殿構成は12世紀にはじまりましたが、その後焼失し、1241年に再建されました。海に建つ木造建物として過酷な環境下にありながら、歴代政権の厚い庇護に支えられて、古い様式を今に伝えています。 社殿背後の厳島は約30平方キロメートルの島で、特別史跡及び特別名勝に指定されています。古くから主峰である弥山(海抜530m)が崇敬の対象となり、島全体が神聖視されていました。ここに神社が造営されたのもその故であると考えられます。また、厳島の緑濃い森林が海岸線に迫る美しい自然景観は、17世紀頃から「日本三景」の一つとして称えられてきました。特異な構造を持つ厳島神社はこのような自然景観の中、海に向かって建ち並んでいます。
詳細解説▶
詳細解説
本社は厳島神社の中心建物であり、海上に展開する社殿群の中核をなす。祓殿の左右から出て、曲折しながら東西にのびる廻廊に沿って附属舎が配置されている。 本社の各建物は海中の大鳥居と軸線を揃え、前方に突出する縦長の祓殿、その背後に接して横長の拝殿、その奥に同じく横長の本殿を並行して配する。拝殿と本殿の間は幣殿でつなぎ、H字型の棟をもつ一棟の建物とし、祓殿の屋根も拝殿に接続させて全体が一連の屋根の下に覆われる。 拝殿、祓殿は1223年(貞応2) の火災後、1241年(仁治2) の造営時に再建されたもの、本殿は1569年(永禄12)におきた流血事件で汚されたとして、 1571年(元亀2) に毛利輝元により再建されたものである。 後の時代の再建にもかかわらず、本社の建造物群は、平安時代、平清盛によって造営された社殿の雰囲気をよく伝えていると考えられる。すなわち、各建物は伸び伸びと広がる軒の線と柔らかな屋根面、床、長押、頭貫などの水平線が強調されて、全体に落ちついた優美な印象を与えるが、ひとつひとつの部材を子細に観察すると、太くたくましい柱や組物、力強い架構に支えられていることがわかる。奈良時代以来の伝統を受け、構造体として堅固に組み上げられた建築本体と、建築表現としての優美さが混在するところに平安時代建築様式の特徴があらわれている。そのほか、祓殿正面中央の軒を一段切り上げるのは、平安時代に好んで使用された、主要な正面をあらわす手法であり、細部では、架構の方式、蟇股の形式、破風の曲線などに平安時代の特徴を残している。 祓殿前面には平舞台が広がり、東西の廻廊からも板敷きが伸びて平舞台に取り付く。平舞台は前面中央部を岬状に突出させ、その付け根近くの左右、平舞台前面に門客神社、さらにその外側左右に楽房を配する。 祓殿前の平舞台上には四方に高欄をまわした漆塗の高舞台が設けられる。この舞台で演じられる舞楽も遠く平安時代に都からこの地にもたらされたもので、代々の厳島神社の神官が一千年以上も守り伝えてきた。摂社客神社は本社の建造物群の東北方にあり、軸線を東西にとって西向きに建つ。社殿群の構成は縦長平面の祓殿を前面に置き、その奥に横長平面の本殿、拝殿を並列させ、本殿、拝殿を幣殿でつなぎ、社殿全体を一連の屋根で覆うことは本社と同様であるが、社殿全体の規模は本社本殿が桁行9間であるのに対し、客神社では桁行7間と、ひとまわり小さい。 また、客神社では、廻廊が拝殿と祓殿の取り合い部分を通路のようにして通り抜けており、祓殿前面は直接海面に面していて平舞台にあたる板敷きがない。 客神社の各建物は、いずれも1223年(貞応2) の火災後、1241年(仁治2) の造営時に再建されたものとみとめられるが、一部に中世の修理と見られる改造がある。様式的な特徴は本社と等しい。