国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
世界遺産
主情報
名称
:
紀伊山地の霊場と参詣道
ふりがな
:
きいさんちのれいじょうとさんけいみち
構成資産
:
吉野山、吉野水分神社、金峯神社、金峯山寺、吉水神社、大峰山寺、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社、青岸渡寺、那智大滝、那智原始林、補陀洛山寺、丹生都比売神社、金剛峯寺、慈尊院、丹生官省符神社、大峯奥駈道、熊野参詣道中辺路、熊野参詣道小辺路、熊野参詣道大辺路、熊野参詣道伊勢路、高野参詣道
登録基準1
:
登録基準2
:
紀伊山地の文化的景観を構成する記念工作物及び遺跡は神道と仏教との独特の融合を示すものであり、東アジアにおける信仰文化の交流と発展を表している。
登録基準3
:
紀伊山地の神社・仏教寺院及びそれらに関連する儀礼は、1,000年以上にもわたる日本の宗教文化の展開を示す希有な証拠である。
登録基準4
:
紀伊山地は、日本の各地に多大な影響を与えた神社及び寺院の建築の独特の様式を形成する場となった。
登録基準5
:
登録基準6
:
紀伊山地の遺跡群及び森林景観は、ともに1,200年以上にもわたる持続的かつ極めて詳細な記録が残る聖なる山の伝統を示している。
所在都道府県
:
2県以上
所在地(市区町村)
:
三重県尾鷲市 三重県熊野市 三重県度会郡大紀町 三重県北牟婁郡紀北町 三重県南牟婁郡御浜町 三重県南牟婁郡紀宝町 奈良県五條市 奈良県吉野郡吉野町 奈良県吉野郡黒滝村 奈良県吉野郡天川村 奈良県吉野郡野迫川村 奈良県吉野郡十津川村 奈良県吉野郡下北山村 奈良県吉野郡上北山村 奈良県吉野郡川上村 和歌山県田辺市 和歌山県新宮市 和歌山県橋本市 和歌山県伊都郡かつらぎ町 和歌山県伊都郡九度山町 和歌山県伊都郡高野町 和歌山県西牟婁郡白浜町 和歌山県西牟婁郡すさみ町 和歌山県西牟婁郡上富田町 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町 和歌山県東牟婁郡串本町
解説文:
紀伊山地は本州最南端、太平洋に張り出す紀伊半島に位置し、標高1,000m~2,000m級の山脈が縦横に走り、年間3,000mmを超える豊かな降水量が深い森林をはぐくむ山岳地帯です。 紀伊山地は太古の昔から自然信仰の精神を育んだ地で、6世紀に仏教が伝来した以降、紀伊山地は真言密教を始めとする山岳修行の場となりました。中でも、山岳修行により超自然的能力を獲得することを目的として10世紀中ごろから11世紀代に成立した修験道は、特に大峰山系の山岳地帯を中心的な修行の場としていました。また、9~10世紀に広く流布した「神仏習合」思想(日本古来の神々は仏教の諸尊が姿を変えて現れたものとする日本固有の思想)の聖地としても信仰を集めていました。 さらに、10~11世紀頃の日本では「末法思想」(仏法が衰え世も末になるという思想)が流行し、死後に阿弥陀仏の居所である極楽浄土に往生することを願う「浄土宗」という仏教の教えが貴族や庶民の間に広まりました。これに伴って、都の南方に広がる紀伊山地には仏教諸尊の浄土があると信じられるようになり、この地の霊場としての性質がいっそう強まりました。この地方の神聖性がことさら重要視されるようになった背景には、深い山々が南の海に迫るという独特の地形や、両者が織り成す対照的な景観構成などが大きく影響していたものと考えられています。 このような特有の地形及び気候、植生などの自然環境に根ざして育まれた多様な信仰の形態を背景として、「吉野・大峯」、「熊野三山」、「高野山」と呼ばれる顕著な三つの霊場とそれらを結ぶ「参詣道」が形成されました。
構成資産
吉野山
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史跡名勝天然記念物
吉野山
吉野水分神社
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国宝・重要文化財(建造物)
吉野水分神社 本殿
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国宝・重要文化財(建造物)
吉野水分神社 拝殿
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国宝・重要文化財(建造物)
吉野水分神社 幣殿
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国宝・重要文化財(建造物)
吉野水分神社 楼門
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国宝・重要文化財(建造物)
吉野水分神社 回廊 (南)
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国宝・重要文化財(建造物)
吉野水分神社 回廊 (北)
金峯神社
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史跡名勝天然記念物
大峯奥駈道
金峯山寺
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国宝・重要文化財(建造物)
金峯山寺本堂
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国宝・重要文化財(建造物)
金峯山寺二王門
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国宝・重要文化財(建造物)
金峯山寺銅鳥居
吉水神社
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国宝・重要文化財(建造物)
吉水神社書院
大峰山寺
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史跡名勝天然記念物
大峰山寺境内
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国宝・重要文化財(建造物)
大峰山寺本堂
熊野本宮大社
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史跡名勝天然記念物
熊野三山
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国宝・重要文化財(建造物)
熊野本宮大社 第一殿・第二殿(西御前・中御前)
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国宝・重要文化財(建造物)
熊野本宮大社 第三殿(証誠殿)
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国宝・重要文化財(建造物)
熊野本宮大社 第四殿(若一王子)
熊野速玉大社
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史跡名勝天然記念物
熊野速玉神社のナギ
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史跡名勝天然記念物
熊野三山
熊野那智大社
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国宝・重要文化財(建造物)
熊野那智大社 第一殿(滝宮)
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国宝・重要文化財(建造物)
熊野那智大社 第二殿(証誠殿)
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国宝・重要文化財(建造物)
熊野那智大社 第三殿(中御前)
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国宝・重要文化財(建造物)
熊野那智大社 第四殿(西御前)
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国宝・重要文化財(建造物)
熊野那智大社 第五殿(若宮)
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国宝・重要文化財(建造物)
熊野那智大社 第六殿(八社殿)
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国宝・重要文化財(建造物)
熊野那智大社 御県彦社
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国宝・重要文化財(建造物)
熊野那智大社 鈴門及び瑞垣
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史跡名勝天然記念物
熊野三山
青岸渡寺
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国宝・重要文化財(建造物)
那智山青岸渡寺本堂
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国宝・重要文化財(建造物)
那智山青岸渡寺宝篋印塔
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史跡名勝天然記念物
熊野三山
那智大滝
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史跡名勝天然記念物
那智大滝
那智原始林
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史跡名勝天然記念物
那智原始林
補陀洛山寺
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史跡名勝天然記念物
熊野三山
丹生都比売神社
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史跡名勝天然記念物
丹生都比売神社境内
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国宝・重要文化財(建造物)
丹生都比売神社本殿 (1)
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国宝・重要文化財(建造物)
丹生都比売神社本殿 (2)
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国宝・重要文化財(建造物)
丹生都比売神社本殿 (3)
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国宝・重要文化財(建造物)
丹生都比売神社本殿 (4)
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国宝・重要文化財(建造物)
丹生都比売神社楼門
金剛峯寺
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史跡名勝天然記念物
金剛峯寺境内
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国宝・重要文化財(建造物)
金剛峯寺不動堂
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国宝・重要文化財(建造物)
金剛三昧院多宝塔
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国宝・重要文化財(建造物)
金剛峯寺山王院本殿 丹生明神社
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国宝・重要文化財(建造物)
金剛峯寺山王院本殿 高野明神社
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国宝・重要文化財(建造物)
金剛峯寺山王院本殿 総社
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国宝・重要文化財(建造物)
金剛峯寺奥院経蔵
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国宝・重要文化財(建造物)
佐竹義重霊屋
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国宝・重要文化財(建造物)
松平秀康及び同母霊屋 秀康霊屋
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国宝・重要文化財(建造物)
松平秀康及び同母霊屋 秀康母霊屋
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国宝・重要文化財(建造物)
上杉謙信霊屋
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国宝・重要文化財(建造物)
金剛峯寺大門
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国宝・重要文化財(建造物)
金剛三昧院経蔵
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国宝・重要文化財(建造物)
金剛三昧院四所明神社本殿
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国宝・重要文化財(建造物)
金剛三昧院客殿及び台所
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国宝・重要文化財(建造物)
金剛峯寺徳川家霊台 家康霊屋
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国宝・重要文化財(建造物)
金剛峯寺徳川家霊台 秀忠霊屋
慈尊院
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国宝・重要文化財(建造物)
慈尊院弥勒堂
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史跡名勝天然記念物
高野参詣道
町石道
三谷坂
京大坂道不動坂
黒河道
女人道
丹生官省符神社
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国宝・重要文化財(建造物)
丹生官省符神社本殿 (1)
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国宝・重要文化財(建造物)
丹生官省符神社本殿 (2)
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国宝・重要文化財(建造物)
丹生官省符神社本殿 (3)
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史跡名勝天然記念物
高野参詣道
町石道
三谷坂
京大坂道不動坂
黒河道
女人道
大峯奥駈道
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史跡名勝天然記念物
大峯奥駈道
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史跡名勝天然記念物
仏経嶽原始林
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史跡名勝天然記念物
オオヤマレンゲ自生地
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国宝・重要文化財(建造物)
玉置神社社務所及び台所
熊野参詣道中辺路
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史跡名勝天然記念物
熊野参詣道
紀伊路
中辺路
大辺路
小辺路
伊勢路
熊野川
七里御浜
花の窟
熊野参詣道小辺路
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史跡名勝天然記念物
熊野参詣道
紀伊路
中辺路
大辺路
小辺路
伊勢路
熊野川
七里御浜
花の窟
熊野参詣道大辺路
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史跡名勝天然記念物
熊野参詣道
紀伊路
中辺路
大辺路
小辺路
伊勢路
熊野川
七里御浜
花の窟
熊野参詣道伊勢路
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史跡名勝天然記念物
熊野参詣道
紀伊路
中辺路
大辺路
小辺路
伊勢路
熊野川
七里御浜
花の窟
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史跡名勝天然記念物
熊野の鬼ケ城
附 獅子巖
高野参詣道
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史跡名勝天然記念物
高野参詣道
町石道
三谷坂
京大坂道不動坂
黒河道
女人道
解説文
紀伊山地は本州最南端、太平洋に張り出す紀伊半島に位置し、標高1,000m~2,000m級の山脈が縦横に走り、年間3,000mmを超える豊かな降水量が深い森林をはぐくむ山岳地帯です。 紀伊山地は太古の昔から自然信仰の精神を育んだ地で、6世紀に仏教が伝来した以降、紀伊山地は真言密教を始めとする山岳修行の場となりました。中でも、山岳修行により超自然的能力を獲得することを目的として10世紀中ごろから11世紀代に成立した修験道は、特に大峰山系の山岳地帯を中心的な修行の場としていました。また、9~10世紀に広く流布した「神仏習合」思想(日本古来の神々は仏教の諸尊が姿を変えて現れたものとする日本固有の思想)の聖地としても信仰を集めていました。 さらに、10~11世紀頃の日本では「末法思想」(仏法が衰え世も末になるという思想)が流行し、死後に阿弥陀仏の居所である極楽浄土に往生することを願う「浄土宗」という仏教の教えが貴族や庶民の間に広まりました。これに伴って、都の南方に広がる紀伊山地には仏教諸尊の浄土があると信じられるようになり、この地の霊場としての性質がいっそう強まりました。この地方の神聖性がことさら重要視されるようになった背景には、深い山々が南の海に迫るという独特の地形や、両者が織り成す対照的な景観構成などが大きく影響していたものと考えられています。 このような特有の地形及び気候、植生などの自然環境に根ざして育まれた多様な信仰の形態を背景として、「吉野・大峯」、「熊野三山」、「高野山」と呼ばれる顕著な三つの霊場とそれらを結ぶ「参詣道」が形成されました。