国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
世界遺産
主情報
名称
:
日光の社寺
ふりがな
:
にっこうのしゃじ
構成資産
:
二荒山神社、東照宮、輪王寺
登録基準1
:
「日光の社寺」は建築上、芸術上の傑出した能力を表すものである。この特質は、山林の中に建つ建造物群の調和的な一体性や、人々の営為によって管理されてきた自然によって、さらに強められている。
登録基準2
:
登録基準3
:
登録基準4
:
日光は、神社仏閣に適用された江戸時代の建築様式の最適な例証である。東照宮と大猷院霊廟の2棟の霊廟は、日光における権現造りの形式の完成形であり、後代に決定的な影響を与えた。これらの建築や装飾に関わった技能者・芸術家の創造性及び独創性は抜きんでて優れている。
登録基準5
:
登録基準6
:
「日光の社寺」は、その周辺環境とともに、日本で古くから宗教の中心とされてきた場所の顕著な事例である。それは、神道における人間と自然との関わりに関係しており、宗教的なしきたりを通じて山や森を畏怖し、崇拝の対象とするもので、その慣習は今日においても生き生きと受け継がれている。
所在都道府県
:
栃木県
所在地(市区町村)
:
日光市
解説文:
詳細解説
日光は、徳川初代将軍家康の霊廟である東照宮が1616年に造営されて以来、徳川幕府の聖地となりました。東照宮は、その後1636年に全面的に大規模な造り替えが行われ、現在の規模・構造になりました。さらに、1653年には3代将軍家光の霊廟である大猷院が造営されました。8世紀以来、日光は男体山を中心とする山岳信仰の聖地であり、山麓や中禅寺湖畔にははやくから社寺が営まれていました。 東照宮が造営された男体山の東麓には、さきに輪王寺と二荒山神社があり、それらをあわせて大規模に造営されました。幕府が総力をあげて造営した建物は、人物・動物・植物などの彫刻を多用し、漆塗や彩色、飾り金具などで華やかに飾られています。
構成資産
二荒山神社
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国宝・重要文化財(建造物)
二荒山神社 本殿
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国宝・重要文化財(建造物)
二荒山神社 唐門
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国宝・重要文化財(建造物)
二荒山神社 掖門及び透塀 (掖門)
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国宝・重要文化財(建造物)
二荒山神社 掖門及び透塀 (透塀)
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国宝・重要文化財(建造物)
二荒山神社 拝殿
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国宝・重要文化財(建造物)
二荒山神社 鳥居
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国宝・重要文化財(建造物)
二荒山神社 神橋
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国宝・重要文化財(建造物)
二荒山神社 別宮滝尾神社本殿
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国宝・重要文化財(建造物)
二荒山神社 別宮滝尾神社唐門
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国宝・重要文化財(建造物)
二荒山神社 別宮滝尾神社拝殿
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国宝・重要文化財(建造物)
二荒山神社 別宮滝尾神社楼門
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国宝・重要文化財(建造物)
二荒山神社 別宮滝尾神社鳥居 (1)
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国宝・重要文化財(建造物)
二荒山神社 別宮滝尾神社鳥居 (2)
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国宝・重要文化財(建造物)
二荒山神社 別宮滝尾神社鳥居 (3)
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国宝・重要文化財(建造物)
二荒山神社 別宮本宮神社本殿
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国宝・重要文化財(建造物)
二荒山神社 別宮本宮神社唐門及び透塀 (唐門)
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国宝・重要文化財(建造物)
二荒山神社 別宮本宮神社唐門及び透塀 (透塀)
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国宝・重要文化財(建造物)
二荒山神社 別宮本宮神社拝殿
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国宝・重要文化財(建造物)
二荒山神社 別宮本宮神社鳥居
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国宝・重要文化財(建造物)
二荒山神社 神輿舎
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国宝・重要文化財(建造物)
二荒山神社 大国殿
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国宝・重要文化財(建造物)
二荒山神社 末社朋友神社本殿
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国宝・重要文化財(建造物)
二荒山神社 末社日枝神社本殿
東照宮
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 本殿、石の間及び拝殿
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 正面及び背面唐門 (正面唐門)
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 正面及び背面唐門 (背面唐門)
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 東西透塀 (東透塀)
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 東西透塀 (西透塀)
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 陽明門
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 東西廻廊 (東廻廊)
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 東西廻廊 (西廻廊)
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 上社務所
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 神楽殿
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 神輿舎
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 鐘楼
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 鼓楼
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 本地堂
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 経蔵
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 上神庫
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 中神庫
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 下神庫
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 水屋
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 神厩
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 表門
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 五重塔
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 石鳥居
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 坂下門
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 奥社宝塔
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 奥社唐門
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 奥社石玉垣
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 奥社拝殿
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 奥社銅神庫
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 奥社鳥居
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 奥社石柵
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 仮殿本殿、仮殿相の間、仮殿拝殿
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 仮殿唐門
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 仮殿掖門及び透塀 (掖門)
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 仮殿掖門及び透塀 (透塀)
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 仮殿鳥居
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 仮殿鐘楼
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 御旅所本殿
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 御旅所拝殿
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮 御旅所神饌所
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮旧奥社 唐門
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国宝・重要文化財(建造物)
東照宮旧奥社 鳥居
輪王寺
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺 本堂(三仏堂)
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺 相輪橖
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺 本坊表門
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺 開山堂
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺 常行堂
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺 法華堂
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺 常行堂法華堂渡廊
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺 慈眼堂廟塔
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺 慈眼堂拝殿
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺 慈眼堂経蔵
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺 慈眼堂鐘楼
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺 慈眼堂阿弥陀堂
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺 児玉堂
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺 護法天堂
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺 観音堂
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺 三重塔
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺 大猷院霊廟別当所竜光院
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺大猷院霊廟 本殿・相の間・拝殿
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺大猷院霊廟 唐門
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺大猷院霊廟 瑞垣
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺大猷院霊廟 夜叉門
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺大猷院霊廟 夜叉門左右廻廊(左廻廊)
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺大猷院霊廟 夜叉門左右廻廊(右廻廊)
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺大猷院霊廟 鐘楼
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺大猷院霊廟 鼓楼
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺大猷院霊廟 二天門
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺大猷院霊廟 水屋
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺大猷院霊廟 宝庫
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺大猷院霊廟 仁王門
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺大猷院霊廟 皇嘉門
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺大猷院霊廟 奥院宝塔
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺大猷院霊廟 奥院鋳抜門
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺大猷院霊廟 奥院拝殿
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺大猷院霊廟 掖門
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺大猷院霊廟 御供所
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺大猷院霊廟 御供所渡廊
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺大猷院霊廟 西浄
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国宝・重要文化財(建造物)
輪王寺大猷院霊廟 銅包宝蔵
日光山内
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史跡名勝天然記念物
日光山内
解説文
日光は、徳川初代将軍家康の霊廟である東照宮が1616年に造営されて以来、徳川幕府の聖地となりました。東照宮は、その後1636年に全面的に大規模な造り替えが行われ、現在の規模・構造になりました。さらに、1653年には3代将軍家光の霊廟である大猷院が造営されました。8世紀以来、日光は男体山を中心とする山岳信仰の聖地であり、山麓や中禅寺湖畔にははやくから社寺が営まれていました。 東照宮が造営された男体山の東麓には、さきに輪王寺と二荒山神社があり、それらをあわせて大規模に造営されました。幕府が総力をあげて造営した建物は、人物・動物・植物などの彫刻を多用し、漆塗や彩色、飾り金具などで華やかに飾られています。
詳細解説▶
詳細解説
日光の社寺は、8世紀末の仏僧勝道による日光開山以来、約1200年の歴史を有し、古くから山岳信仰の聖地となり、自然環境と一体となって、神道・仏教・徳川家墓所の複合した宗教的霊地としての日光山の歴史を現在まで継承している。 日光山は、徳川将軍家を事実上の頂点とする江戸時代の政治体制を支えるための極めて重要な役割を果たした。 「奈良~平安時代 8世紀初頭~12世紀末」 日光山周辺は、古来山岳信仰の舞台であり、仏教者の修行の場であった。ここに明確な宗教活動が営まれるに至るのは、8世紀後半である。僧勝道は、782年に男体山の登頂に成功し、その2年後に寺院を建立し日光山を開いた。この後、日光山は、日本古来の神の信仰と仏教信仰とが結びついた、山岳信仰の聖地として発展することになった。二荒山神社と輪王寺は、この伝統を受け継ぐものである。 12世紀中頃には、常行三昧堂などの堂社の創建が盛んに行われ、勢力も増大した。 「鎌倉~室町~桃山時代 12世紀末~16世紀末」 12世紀末に鎌倉幕府が開設されると、関東の鎮護として源頼朝をはじめ歴代将軍の崇敬を受け、多くの堂塔が修造されて、日光山の宗教活動は更に発展をとげた。現在の日光山には、このころからの経典、美術品などが多数保存されている。 この時期には、また、日光山の峰々を結んで修行を行う日光修験の形態が確立した。 室町時代においては、日光山は関東の一大霊場としてその名を誇り、日光修験も全盛を迎えた。しかし、室町時代の末期には、諸勢力の対立に巻き込まれ、1590年には、豊臣秀吉によって大部分の領地が没収されて、一時衰退した。 「江戸時代 17世紀~19世紀中期」 江戸時代に入ると、日光山は、徳川家康の側近である天海の手により、再興に向かった。特に1617年に徳川家康(1616没)、次いで1652年に徳川家光(1651没)が葬られると、日光山は徳川将軍家の祖をまつる霊廟の地となり、幕府によって、手厚い保護を受けることとなった。諸国大名の参拝はもちろん、19回もの歴代将軍の参拝や121年間欠かさず朝廷からの例幣使の派遣も行われた。加えて、3回にわたり、朝鮮通信使の参詣なども行われた。 徳川家康の霊廟「東照宮」は、当初、1617年に造営され、その後、1634~1636年に大造替が行われた。また、徳川家光の霊廟「大猷院霊廟」は、1653年に造営された。その他、江戸時代を通して、二荒山神社諸社殿、輪王寺の三仏堂、常行堂、法華堂、相輪?などの造営をはじめ、旧衆徒の寺跡再興、堂社廟塔の修造、造営や維持修理の活動が継続して行われた。また、日光山に集まる3街道に植えられた日光杉並木は、東照宮を中心とする日光山の整備の過程で植林され、江戸時代を通じて、幕府の命で維持されてきたものである。また、日光山の年中行事も規定され、日光ならではの文化も発達し、繁栄した。 「明治時代以降 1868年~」 1871年に明治政府が神仏分離を命じた結果、江戸時代までは一体として経営されてきた日光山も二荒山神社、東照宮、輪王寺の二社一寺に分離され、これに伴い幾つか堂塔も移動した。また、この頃には、急激な近代化の波の中で、一時期、国内の文化資産を軽視する風潮が生じ、日光の社寺も一時衰微した。 一方、1879年には、日光の社寺を保護するため「保晃会」(ほこうかい)が組織され、社寺の修理等を開始した。 政府が、1897年に「古社寺保存法」を制定して、文化遺産の保護に乗り出すと、日光には「日光社寺修繕事務所」が政府及び二社一寺によって組織され、社寺の修理を担当するようになった。同法は、1929年に保護対象を拡大した「国宝保存法」に移行された。一方、1919年には「史蹟名勝天然記念物保存法」が新たに制定され、さらに、両法律は、1950年に「文化財保護法」に統合された。現在、日光においては、これに基づいて文化資産の保護行政が進められている。また、1931年には「国立公園法」が制定され、1934年に日光国立公園が指定された。その後、1938年には特別地域が、また、1953年には特別保護地区が指定され、現在に至るまでその保護が図られてきている。