国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
世界遺産
主情報
名称
:
琉球王国のグスク及び関連遺産群
ふりがな
:
りゅうきゅうおうこくのぐすくおよびかんれんいさんぐん
構成資産
:
今帰仁城跡、座喜味城跡、勝連城跡、中城城跡、首里城跡、園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽
登録基準1
:
登録基準2
:
残存する記念工作物は、数世紀にわたって、琉球列島が東南アジア・中国・朝鮮半島、及び日本との間の経済的・文化的交流の中心としての役割を担ったことを鮮明に証明している。
登録基準3
:
琉球王国の文化は、特殊な政治的・経済的環境の下に進化・繁栄を遂げ、その結果、独特の性質を持つものとなった。
登録基準4
:
登録基準5
:
登録基準6
:
琉球の神聖なる遺跡群は、浸透した他の世界的な宗教(仏教)とも並行しつつ、現代にもその本質が継承された自然と祖先崇拝の固有の形態の希に見る事例であることを示している。
所在都道府県
:
沖縄県
所在地(市区町村)
:
那覇市 うるま市 南城市 国頭郡今帰仁村 中頭郡読谷村 中城村 北中城村
解説文:
詳細解説
琉球列島は日本列島南端に位置します。14世紀中頃には三王国が分立していましたが、15世紀前半にこれらを統一して琉球王国が成立しました。中国・朝鮮・日本・東南アジア諸国との広域の交易を経済的な基盤とし、当時の日本の文化とは異なった国際色豊かな独特の文化が形成されました。その特色を如実に反映している文化遺産が城(グスク)です。
今帰仁城・座喜味城・勝連城・中城城は、いずれも三国鼎立期から琉球王国成立期にかけて築かれた城であり、首里城は琉球王がその居所と統治機関を設置するために築いたものです。 これらの城壁は、主として珊瑚石灰岩により造営されており、曲面を多用した琉球独自の特色を備えています。さらに、王室関係の遺跡として円覚寺跡、玉陵、識名園(別邸)が残り、王国文化をうかがうことができます。
構成資産
今帰仁城跡
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史跡名勝天然記念物
今帰仁城跡
附シイナ城跡
座喜味城跡
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史跡名勝天然記念物
座喜味城跡
勝連城跡
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史跡名勝天然記念物
勝連城跡
中城城跡
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史跡名勝天然記念物
中城城跡
首里城跡
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史跡名勝天然記念物
首里城跡
園比屋武御嶽石門
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国宝・重要文化財(建造物)
園比屋武御嶽石門
玉陵
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史跡名勝天然記念物
玉陵
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国宝・重要文化財(建造物)
玉陵 墓室 (東室)
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国宝・重要文化財(建造物)
玉陵 墓室 (中室)
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国宝・重要文化財(建造物)
玉陵 墓室 (西室)
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国宝・重要文化財(建造物)
玉陵 石牆 (外周石牆 )
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国宝・重要文化財(建造物)
玉陵 石牆 (中央石牆 )
識名園
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史跡名勝天然記念物
識名園
斎場御嶽
━
史跡名勝天然記念物
斎場御嶽
解説文
琉球列島は日本列島南端に位置します。14世紀中頃には三王国が分立していましたが、15世紀前半にこれらを統一して琉球王国が成立しました。中国・朝鮮・日本・東南アジア諸国との広域の交易を経済的な基盤とし、当時の日本の文化とは異なった国際色豊かな独特の文化が形成されました。その特色を如実に反映している文化遺産が城(グスク)です。 今帰仁城・座喜味城・勝連城・中城城は、いずれも三国鼎立期から琉球王国成立期にかけて築かれた城であり、首里城は琉球王がその居所と統治機関を設置するために築いたものです。 これらの城壁は、主として珊瑚石灰岩により造営されており、曲面を多用した琉球独自の特色を備えています。さらに、王室関係の遺跡として円覚寺跡、玉陵、識名園(別邸)が残り、王国文化をうかがうことができます。
詳細解説▶
詳細解説
琉球地方のグスクの多くは、主として12~16世紀に農村集落を基盤として群雄割拠した「按司」と呼ばれる領主的豪族層が、自らの居住と防衛の拠点として築いた城である。それ以前の10~12世紀においては、グスクは主として野面積の石垣で囲まれた自衛的な農村集落を意味したが、その中から集落を代表する領主的豪族層の居館としてのグスクが成立し、やがて有力按司の居城で、切石積の堅固な石垣で囲まれた大規模なグスクが登場する。その背景には、農具の改善によって農耕生産が飛躍的に発展したことや、宋(中国)、日本、朝鮮半島、東南アジア諸国との間に頻繁に繰り広げられた中継貿易が豊かな経済的発展をもたらしたこと、そしてそれらと並行して、群立する地域共同体が「北山」「中山」「南山」からなる「三山」と呼ぶ3つの小国家へとまとめられ、やがてひとつの琉球王国へと政治的に統合されていく過程とがあった。現在の琉球地方は沖縄県として日本の一部をなし、人類学的、言語学的、考古学的諸側面においては、日本と同一の文化圏に属する。しかしながら、琉球地方は南海に離れた島嶼において独自の交易圏を足がかりとして、15世紀前半には独立した王国を成立させた。そして1609年の徳川幕府・薩摩藩による琉球侵攻と、1879年の明治政府による琉球処分を経て政治的にも日本の一部に組み込まれたが、第二次世界大戦において甚大な人的・物的被害を受け、1972年の本土復帰までの26年余の期間、我が国の施政権外に置かれた。 今帰仁城・座喜味城・勝連城・中城城は、いずれも三国鼎立期から琉球王国成立期にかけて築かれた城であり、首里城は琉球王がその居所と統治機関を設置するために築いたものである。これらの城壁は、主として珊瑚石灰岩により造営されており、曲面を多用した琉球独自の特色を備えている。さらに、王室関係の遺跡として円覚寺跡、玉陵、識名園(別邸)が残り、王国文化をうかがうことができる。