国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
世界遺産
主情報
名称
:
古都京都の文化財
ふりがな
:
こときょうとのぶんかざい
構成資産
:
賀茂別雷神社(上賀茂神社)、賀茂御祖神社(下鴨神社)、教王護国寺、清水寺、延暦寺、醍醐寺、仁和寺、平等院、宇治上神社、高山寺、西芳寺、天龍寺、鹿苑寺、慈照寺、龍安寺、本願寺、二条城
登録基準1
:
登録基準2
:
京都は、8世紀から17世紀にかけて、宗教及び非宗教の建築及び庭園の意匠における発展の中心であった。そのため、京都は日本の文化的伝統の形成に決定的な役割を果たし、その結果、19世紀以降には、特に庭園の分野において世界の他の地域に重大な影響を与えた。
登録基準3
:
登録基準4
:
京都に残された記念工作物に見る一群の建築及び庭園の意匠は、近代以前の日本の物質文化のこの側面における最高の表現である。
登録基準5
:
登録基準6
:
所在都道府県
:
2県以上
所在地(市区町村)
:
京都府京都市 京都府宇治市 滋賀県大津市
解説文:
詳細解説
京都は794年から1868年にかけて天皇が居所をおいた日本の首都であり、武家政権が政治の中心を鎌倉と江戸に移した時期以外、文化・経済・政治の中心として繁栄しました。
京都は北、西、東の三方を丘陵に囲まれた盆地という地理的特徴を利用して建設された都市です。中央の平地部では、幾多の兵火に見舞われて火災が頻発し、多くの建物などが失われては再興されるという繰返しでした。しかし、周辺の山麓部は災害を免れ、起伏に富んだ自然地形を利用して建てられた大寺院や山荘・庭園がいまでも多数残されています。
平地部にも東寺や二条城などの大きな規模の記念物や各種の伝統的な住宅様式を示す町並みなどの文化遺産が、条坊制の中に残っています。8世紀に創建された東寺には、11世紀から19世紀にいたる各時代の建物が建ち並び、16世紀に建造された二条城には、広大な敷地に当時の華やかな建物が残っています。
構成資産
賀茂別雷神社
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史跡名勝天然記念物
賀茂別雷神社境内
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 本殿
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 権殿
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 本殿権殿取合廊
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 本殿東渡廊取合廊
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 西渡廊
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 透廊
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 渡廊
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 祝詞舎
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 塀中門
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 摂社若宮神社本殿
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 東渡廊
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 四脚中門
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 御籍屋
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 神宝庫
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 唐門
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 東御供所
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 直会所
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 楽所及び西御供所
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 幣殿
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 忌子殿
━
国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 幣殿忌子殿取合廊
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 高倉殿
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 楼門
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 廻廊(東)
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 廻廊(西)
━
国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 摂社新宮神社本殿及び拝殿(本殿)
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 摂社新宮神社本殿及び拝殿(拝殿)
━
国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 摂社片岡神社本殿及び拝殿(本殿)
━
国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 摂社片岡神社本殿及び拝殿(拝殿)
━
国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 片岡橋
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 拝殿(細殿)
━
国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 舞殿(橋殿)
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 土屋(到着殿)
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 楽屋
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 外幣殿
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂別雷神社 北神饌所(庁屋)
賀茂御祖神社
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史跡名勝天然記念物
賀茂御祖神社境内
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 東本殿
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 西本殿
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 祝詞舎
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 幣殿
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 東西廊(東廊)
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 東西廊(西廊)
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 東西御料屋(東)
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 東西御料屋(西)
━
国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 叉蔵
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 四脚中門
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 東西楽屋(東)
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 東西楽屋(西)
━
国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 中門東西回廊(東廻廊)
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 中門東西回廊(西廻廊)
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 預り屋
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 西唐門
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 舞殿
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 神服殿
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 橋殿
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 細殿
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 供御所
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 大炊所
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 楼門
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 楼門東西廻廊(東)
━
国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 楼門東西廻廊(西)
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 摂社出雲井於神社本殿
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 摂社三井神社本殿(1)
━
国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 摂社三井神社本殿(2)
━
国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 摂社三井神社本殿(3)
━
国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 摂社三井神社拝殿
━
国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 摂社三井神社棟門
━
国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 摂社三井神社東西廊下(東廊下)
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国宝・重要文化財(建造物)
賀茂御祖神社 摂社三井神社東西廊下(西廊下)
教王護国寺
━
史跡名勝天然記念物
教王護国寺境内
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国宝・重要文化財(建造物)
教王護国寺金堂
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国宝・重要文化財(建造物)
教王護国寺五重塔
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国宝・重要文化財(建造物)
教王護国寺大師堂(西院御影堂)
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国宝・重要文化財(建造物)
教王護国寺蓮花門
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国宝・重要文化財(建造物)
教王護国寺北大門
━
国宝・重要文化財(建造物)
教王護国寺慶賀門
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国宝・重要文化財(建造物)
教王護国寺東大門
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国宝・重要文化財(建造物)
教王護国寺南大門
━
国宝・重要文化財(建造物)
教王護国寺宝蔵
━
国宝・重要文化財(建造物)
教王護国寺講堂
━
国宝・重要文化財(建造物)
教王護国寺灌頂院 灌頂院
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国宝・重要文化財(建造物)
教王護国寺灌頂院 東門
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国宝・重要文化財(建造物)
教王護国寺灌頂院 北門
━
国宝・重要文化財(建造物)
教王護国寺五重小塔
清水寺
━
国宝・重要文化財(建造物)
清水寺本堂
━
国宝・重要文化財(建造物)
清水寺 仁王門
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国宝・重要文化財(建造物)
清水寺 馬駐
━
国宝・重要文化財(建造物)
清水寺 鐘楼
━
国宝・重要文化財(建造物)
清水寺 西門
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国宝・重要文化財(建造物)
清水寺 三重塔
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国宝・重要文化財(建造物)
清水寺 経堂
━
国宝・重要文化財(建造物)
清水寺 田村堂
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国宝・重要文化財(建造物)
清水寺 朝倉堂
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国宝・重要文化財(建造物)
清水寺 轟門
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国宝・重要文化財(建造物)
清水寺 本坊北総門
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国宝・重要文化財(建造物)
清水寺 鎮守堂(春日社)
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国宝・重要文化財(建造物)
清水寺 釈迦堂
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国宝・重要文化財(建造物)
清水寺 阿弥陀堂
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国宝・重要文化財(建造物)
清水寺 奥院
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国宝・重要文化財(建造物)
清水寺 子安塔
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国宝・重要文化財(建造物)
地主神社 本殿
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国宝・重要文化財(建造物)
地主神社 拝殿
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国宝・重要文化財(建造物)
地主神社 総門
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史跡名勝天然記念物
成就院庭園
延暦寺
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史跡名勝天然記念物
延暦寺境内
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国宝・重要文化財(建造物)
延暦寺根本中堂
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国宝・重要文化財(建造物)
延暦寺根本中堂廻廊
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国宝・重要文化財(建造物)
延暦寺転法輪堂
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国宝・重要文化財(建造物)
延暦寺戒壇院
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国宝・重要文化財(建造物)
延暦寺瑠璃堂
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国宝・重要文化財(建造物)
延暦寺相輪橖
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国宝・重要文化財(建造物)
延暦寺常行堂及び法華堂 常行堂
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国宝・重要文化財(建造物)
延暦寺常行堂及び法華堂 法華堂
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国宝・重要文化財(建造物)
延暦寺大講堂(旧東照宮本地堂)
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史跡名勝天然記念物
延暦寺坂本里坊庭園
雙厳院庭園
宝積院庭園
滋賀院門跡庭園
佛乗院庭園
旧白毫院庭園
旧竹林院庭園
蓮華院庭園
律院庭園
実蔵坊庭園
寿量院庭園
醍醐寺
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史跡名勝天然記念物
醍醐寺境内
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史跡名勝天然記念物
醍醐寺三宝院庭園
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国宝・重要文化財(建造物)
醍醐寺五重塔
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国宝・重要文化財(建造物)
醍醐寺金堂
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国宝・重要文化財(建造物)
醍醐寺清滝宮本殿
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国宝・重要文化財(建造物)
醍醐寺清滝宮拝殿
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国宝・重要文化財(建造物)
醍醐寺薬師堂
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国宝・重要文化財(建造物)
醍醐寺開山堂
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国宝・重要文化財(建造物)
醍醐寺如意輪堂
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国宝・重要文化財(建造物)
三宝院殿堂 玄関
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国宝・重要文化財(建造物)
三宝院殿堂 勅使の間、秋草の間及び葵の間
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国宝・重要文化財(建造物)
三宝院殿堂 表書院
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国宝・重要文化財(建造物)
三宝院殿堂 宸殿
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国宝・重要文化財(建造物)
三宝院殿堂 庫裏
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国宝・重要文化財(建造物)
三宝院殿堂 純浄観
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国宝・重要文化財(建造物)
三宝院殿堂 護摩堂
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国宝・重要文化財(建造物)
三宝院唐門
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国宝・重要文化財(建造物)
三宝院宝篋印塔
仁和寺
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史跡名勝天然記念物
仁和寺御所跡
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国宝・重要文化財(建造物)
仁和寺金堂
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国宝・重要文化財(建造物)
仁和寺 五重塔
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国宝・重要文化財(建造物)
仁和寺 観音堂
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国宝・重要文化財(建造物)
仁和寺 中門
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国宝・重要文化財(建造物)
仁和寺 二王門
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国宝・重要文化財(建造物)
仁和寺 鐘楼
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国宝・重要文化財(建造物)
仁和寺 経蔵
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国宝・重要文化財(建造物)
仁和寺 御影堂
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国宝・重要文化財(建造物)
仁和寺 御影堂中門
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国宝・重要文化財(建造物)
仁和寺 九所明神本殿 (中殿)
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国宝・重要文化財(建造物)
仁和寺 九所明神本殿 (左殿)
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国宝・重要文化財(建造物)
仁和寺 九所明神本殿 (右殿)
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国宝・重要文化財(建造物)
仁和寺 本坊表門
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国宝・重要文化財(建造物)
仁和寺 遼廓亭
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国宝・重要文化財(建造物)
仁和寺 飛濤亭
平等院
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史跡名勝天然記念物
平等院庭園
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国宝・重要文化財(建造物)
平等院鳳凰堂 中堂
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国宝・重要文化財(建造物)
平等院鳳凰堂 両翼廊(北)
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国宝・重要文化財(建造物)
平等院鳳凰堂 両翼廊(南)
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国宝・重要文化財(建造物)
平等院鳳凰堂 尾廊
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国宝・重要文化財(建造物)
平等院観音堂
宇治上神社
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国宝・重要文化財(建造物)
宇治上神社本殿
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国宝・重要文化財(建造物)
宇治上神社拝殿
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国宝・重要文化財(建造物)
宇治上神社摂社春日神社本殿
高山寺
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史跡名勝天然記念物
高山寺境内
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国宝・重要文化財(建造物)
高山寺石水院(五所堂)
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国宝・重要文化財(建造物)
高山寺宝篋印塔
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国宝・重要文化財(建造物)
高山寺如法経塔
西芳寺
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史跡名勝天然記念物
西芳寺庭園
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国宝・重要文化財(建造物)
西芳寺湘南亭 本家
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国宝・重要文化財(建造物)
西芳寺湘南亭 待合及廊下
天龍寺
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史跡名勝天然記念物
天龍寺庭園
鹿苑寺
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史跡名勝天然記念物
鹿苑寺(金閣寺)庭園
慈照寺
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史跡名勝天然記念物
慈照寺(銀閣寺)庭園
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史跡名勝天然記念物
慈照寺(銀閣寺)旧境内
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国宝・重要文化財(建造物)
慈照寺銀閣
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国宝・重要文化財(建造物)
慈照寺東求堂
龍安寺
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史跡名勝天然記念物
龍安寺方丈庭園
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史跡名勝天然記念物
龍安寺庭園
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国宝・重要文化財(建造物)
竜安寺本堂
本願寺
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史跡名勝天然記念物
本願寺大書院庭園
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史跡名勝天然記念物
滴翠園
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史跡名勝天然記念物
本願寺境内
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国宝・重要文化財(建造物)
本願寺飛雲閣
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国宝・重要文化財(建造物)
本願寺唐門
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国宝・重要文化財(建造物)
本願寺書院(対面所及び白書院)
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国宝・重要文化財(建造物)
本願寺玄関、浪之間、虎之間、太鼓之間
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国宝・重要文化財(建造物)
本願寺浴室(黄鶴台)附廻廊
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国宝・重要文化財(建造物)
本願寺北能舞台
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国宝・重要文化財(建造物)
本願寺 鐘楼
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国宝・重要文化財(建造物)
本願寺能舞台(附橋掛)
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国宝・重要文化財(建造物)
本願寺阿弥陀堂
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国宝・重要文化財(建造物)
本願寺御影堂
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国宝・重要文化財(建造物)
本願寺黒書院及び伝廊 黒書院
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国宝・重要文化財(建造物)
本願寺黒書院及び伝廊 伝廊
二条城
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史跡名勝天然記念物
二条城二之丸庭園
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 二の丸御殿式台
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 二の丸御殿遠侍及び車寄
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 二の丸御殿白書院(御座の間)
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 二の丸御殿蘇鉄之間
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 二の丸御殿黒書院(小広間)
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 二の丸御殿大広間
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 本丸御殿御書院
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 本丸御殿玄関
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 二の丸御殿唐門
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 本丸御殿御常御殿
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 鳴子門
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 桃山門
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 本丸御殿台所及び雁之間
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 二の丸御殿台所
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 二の丸御殿御清所
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 北中仕切門
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 北中仕切門
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 二の丸御殿築地
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 東大手門
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 西門
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 東南隅櫓北方多門塀
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 北大手門
━
国宝・重要文化財(建造物)
二条城 東南隅櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 西南隅櫓
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 土蔵(米蔵)
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 土蔵(南)(米蔵)
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 土蔵(北)(米蔵)
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国宝・重要文化財(建造物)
二条城 本丸櫓門
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史跡名勝天然記念物
旧二条離宮(二条城)
解説文
京都は794年から1868年にかけて天皇が居所をおいた日本の首都であり、武家政権が政治の中心を鎌倉と江戸に移した時期以外、文化・経済・政治の中心として繁栄しました。 京都は北、西、東の三方を丘陵に囲まれた盆地という地理的特徴を利用して建設された都市です。中央の平地部では、幾多の兵火に見舞われて火災が頻発し、多くの建物などが失われては再興されるという繰返しでした。しかし、周辺の山麓部は災害を免れ、起伏に富んだ自然地形を利用して建てられた大寺院や山荘・庭園がいまでも多数残されています。 平地部にも東寺や二条城などの大きな規模の記念物や各種の伝統的な住宅様式を示す町並みなどの文化遺産が、条坊制の中に残っています。8世紀に創建された東寺には、11世紀から19世紀にいたる各時代の建物が建ち並び、16世紀に建造された二条城には、広大な敷地に当時の華やかな建物が残っています。
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詳細解説
京都は794年に都城、平安京として建設され、以来、千年以上にわたり日本の首都として栄えた日本文化の中心地である。 そこは東、北、西の三方を豊かな緑の山で囲まれた盆地であり、中心市街地部は内乱や火災でしばしば焼失したが、周囲の山麓山中には各時代の文化資産が蓄積してきた。また、16世紀末以降の資産は中心部においても火災を逃れたものが残っている。 推薦する“古都京都の文化財”は、17の文化資産からなる。これらは、古都京都を特徴づける歴史的記念物であり、地域的にも時代的にも古都京都を説明するに足る文化資産群である。 〈平安時代 794~1184年〉 平安京は政治の一新、飢饉、疫病等社会不安からの解放のため、平城京(710~784)から長岡京(784~794)を経て、794年に京都盆地の北半に造営された都城である。この地は、都城にふさわしい地勢的条件を備えた地として選ばれたもので、平安京は唐の都長安等の古代中国の都城を規範に、東西4.5km、南北5.1kmの規模で整然と造営された。 湿潤地であった西側の荒廃、京中の条坊地割を延長した道路整備が行われた白河地区をはじめとする北方地帯の発展など、その形態は変遷していったが、平安時代約400年間にわたって京都は貴族社会の舞台であった。 平安京造営当初を知る資産としては、国家鎮護の宗教施設である賀茂別雷神社(通称:上賀茂神社)、賀茂御祖神社(通称:下鴨神社)、教王護国寺(通称:東寺)、東山山麓の清水寺、平安京の北東いわゆる鬼門に位置し、後に国家鎮護の道場として繁栄した延暦寺があげられる。 平安時代前期から後期には、東寺、西寺のふたつの官寺以外は平安京内での寺院建立が禁じられていたため、市中は専ら都市的機能の場となっていた。一方、周辺の山中には寺院が設けられ、風光明媚なところには貴族の別荘が建てられた。 この時期は政治的安定と都市化の進展の中で貴族による王朝文化が栄え、国風文化として洗練されていった。王朝文化の特色はきらびやか、繊細、自然との融合にあり、日本文化のひとつのモデルとして、後の権力者たちの憧れの対象であり続けた。 平安時代前期を代表する資産としては、大規模な勅願寺である醍醐寺、仁和寺があげられる。 平安時代末期になると貴族政治の衰退、武士の台頭等により社会は混乱し、加えて、釈迦の死後2000年を経た1052年から末法の世に入り天災地変が頻発するという末法思想の影響もあって、人々は宗教にすがり阿弥陀仏の救いによって極楽浄土への導きを願うようになった。このような浄土思想が文化的に完成されたものが平等院であり、その鎮守社として宇治上神社が整えられた。平安時代末期から鎌倉時代にかけては、浄土教普及の一方で旧仏教の巻き返しや宋からもたらされた禅宗の摂取も進んでいった。 〈鎌倉時代 1185~1332年〉 1185年の内乱の後、武士の政権が鎌倉に成立したが、京都ではなお朝廷貴族の権威が維持されており、公家文化、武家文化、仏教文化がそれぞれ影響しあいながら存在していた。 その中で、この時代を代表する資産としては、世俗や権力と縁を切り自然の中で精神的充足を求めた明恵上人の開基になる高山寺に石水院が残り、鎌倉時代の住宅的な建築様式を伝えている。 〈室町時代 1333~1572年〉 1338年、室町幕府成立により京都に政権の中心が戻ると、天竜寺など臨済禅の大寺院が郊外に建立された。これらの寺院には、禅宗寺院の地割と自然地形を活かした禅宗庭園が作られた。作庭にすぐれた禅僧、夢窓疎石による西芳寺庭園はその代表例である。 室町幕府の最盛期となる14世紀末には、当時最高の権力者であった足利義満の山荘(後に鹿苑寺となる)に象徴される、武家の権威を示しつつ王朝への憧れから公家文化を取り入れ、さらに禅宗を通した中国文化を結合した北山文化が栄えた。 15世紀中頃には、公家文化、武家文化、中国文化の融合がさらに進み、芸術的に、より洗練された、足利義政の山荘(後に慈照寺となる)に象徴される東山文化が栄えた。 慈照寺庭園でも見られるように、夢窓疎石以来、象徴的な石組による石庭が盛んになり、世界的に知られる枯山水様式の名庭である龍安寺方丈庭園のような、宗教的性格より純芸術的方向で洗練された庭園が作られている。 このように芸術的に文化が高められる一方で、1467年から10年間にわたり京都は戦乱(応仁の乱)の舞台となり、都市としての形を失うほど被災し、古代からの多くの資産も中心部においては地表面から失われていった。 乱後の京都の復興は、経済力を高めていた町衆の手によるものであり、祇園会の山鉾の復活は祇園祭として現在まで継承されている。 祇園祭とともに京都の夏を彩るイベントである五山の送り火も、諸説はあるがこのころ始まったともいわれている。これは、8月16日盂蘭盆の夜、精霊を送るため京都を取り巻く山々に松明の火で文字や舟形を浮かび上がらせるものであり、都市の背景であった山々がこの時は精神性の高い文化的なランドマークに変わっていく。こうしたイベントからも、京都が周囲の自然と対峙するものではなく、一体となって発展してきたことを理解できよう。 また、戦乱を避けて地方へ移った貴族たちによって京都文化の地方への伝播が進み、都市づくりにおいても京都を規範に、山、川、社寺等を京都のそれになぞらえた地方都市が造られていった。 〈桃山時代 1573~1614年〉 応仁の乱以降百年の戦乱の世の後、1568年織田信長が入洛し天下を平定、次いで豊臣秀吉が天下を統一した。 この時期京都では、秀吉が市街地の中央に居城である聚楽第を営み、市中に散在する寺院の集中化を行った。1591年には周囲にお土居と呼ばれる土塁を総延長23キロメートルにわたって築き外部との連絡を特定された出入口に限るなど、城下町化が図られていった。さらに、京都の南方、伏見の地には1594年に伏見城が建立された。 その後1603年に政権が徳川家康の江戸幕府に移ると、京都には幕府の権力の象徴であり儀典の場として二条城が築かれた。また、お土居は都市的発展を阻害するものとして民衆によって破壊が進められ、最終的には完全に破壊された。 こうして政治が安定したことにより、都市に商工業が栄え、西欧を含めた海外との通交が盛んになった16世紀末から17世紀初期には、文化的にも新たな発展がみられた。桃山文化といわれるこの文化は、武力により支配者となった武将と経済的に成長した豪商によるものであり、彼等の精神を反映し、壮大な城郭建築や彫刻・絵画等の装飾を施した建築に代表される、豪壮華麗な力強さが特徴となっている。 桃山文化を代表する資産としては、秀吉自ら設計を行った醍醐寺三宝院の殿堂及び庭園や、秀吉が京都の復興のシンボルとして大坂から京都へ移し、大規模な仏堂と豪華な書院建築で特徴づけられる本願寺、二の丸御殿の残る二条城があげられる。本願寺及び二条城は、桃山時代終了直後に再建されているものの、桃山様式をよく伝える建築であるといえる。 〈江戸時代 1615~1867年〉 17世紀初頭からは、清水寺、仁和寺など王朝期の社寺が伝統的建築様式を用いて再興された。 また、この時代には、全国の寺院は仏教各宗派による本寺、末寺の体系化がなされ、本山(本寺)の集中する京都は、地方から本山参りの形で多くの人々が訪れるのに伴い宗教都市、観光都市としての性格も形成されてきた。こうした民衆に溶け込んだ宗教活動によって現在まで多くの社寺が維持されてきている。 〈明治維新以降 1868~ 〉 1869年に政府が東京に移り、明治期に京都は数々の近代化施策を行い、近代都市京都が形づくられていった。 この頃の文明開化と近代化の波の中では、文化資産軽視の風潮が生まれたが、国は文化財保護の必要性から、1871年に「古器旧物保存方」の太政官布達を発し、本格的には1897年に「古社寺保存法」を制定し文化財の学術的な調査と保護の途を開いた。この法律は、1929年には保護対象を拡大した「国宝保存法」に移行された。さらに、1919年に制定された「史蹟名勝天然紀念物保存法」を統合して、1950年に制定された「文化財保護法」に引き継がれ、現在この法律に基づき文化財保護行政を進めている。 一方、京都市をはじめとする各自治体でも、文化資産や風致の保存は京都にとって重要であるとの認識から、古いものを活かし新しいものを受け入れる京都の伝統を踏まえ、都市生活の発展との共存と調和を目指した、文化財保護、風致の保全を明治中期以降行っており、今回推薦する17の社寺等をはじめとする京都の資産群は適切に保護されている。 現在、それらは日本文化を代表する芸術的資産として、また、京都らしさを醸し出す文化資産としてのみならず、宗教施設においては現在でも各宗教法人の宗教活動の場として生きた形で存在している。